この「くに」の面影

この「くに」の面影

2021年7月24日

『この「くに」の面影』筑紫哲也 藤原帰一・吉岡弘行=編 日本経済新聞社23

「朝日ジャーナル」の編集長、という印象の方が私には強い。あの頃の朝日ジャーナルは、確かに面白かった。「NEWS23」は、実はほとんど見ていない。どちらかというと、遠い遠い昔の「こちらデスク」の記者としての報道は見ていて、割に好きだったのを覚えている。まだ私は子どもだったけれど。

筑紫氏が亡くなってから「若き友人たちへ」を読んで、キャスターだけでなく、執筆者として活動できただろうに、と残念に思ったことを覚えている。社会的事象だけにとらわれるのではなく、文化・芸術・・・映画、音楽、絵画などにも深い造詣をもつ人だった。

この本で印象的だったのは、彼が丸山眞男について論じている部分だ。孫引きになってしまうけれど、丸山眞男の『自己内対話』から、学問をやる人たちの、世の中での役割は何かということについて、筑紫氏が引用している部分を、ここにも引用する。

学問的真理の「無力」さは、北極星の「無力」さと似ている。北極星は個別的に道に迷った旅人に手をさしのべて、導いてはくれない。それを北極星に期待するのは、期待過剰というものである。しかし北極星はいかなる旅人にも、つねに基本的な方角を占めるしるしとなる。(自分に敵意をもった人にも、好意をもつ人にも差別なしに。)旅人は、自らの智恵と勇気をもって、自らの決断によって、したがって自らの責任において、自己の途をえらびとるのである。北極星はそのときはじめて「指針」として彼を助けるだろう。「無力」のゆえに学問を捨て、軽蔑するものは、一日も早く盲目的な行動の世界に、感覚(手さぐり)だけにたよる旅程に飛び込むがよい。

引用は「自己内対話」丸山眞男 115~116頁

学問にしろ、文化にしろ、直ちにその場で役に立たないもの、殆ど変わらずじっと何かを示し続ける物のもつ役割を軽蔑することは、結局は、極めて感覚的に、その場その場の思いつきで行動することにつながる。そのとき、それが正しそうに見えることと、長い長いスパンで見渡し、見通してほんとうに正しいことを見つけることの違いを思う。

もうひとつ、胸をつかれたのは、以下の文章。

 私を含む東京に住むものの多くの人たちが、いずれ東京には地震が来るだろうと思っていますが、それで自分がやられるとは思っていない。いずれ原発の事故が起きるかもしれないと恐れている人も我が身にチェルノブイリのようなことがふりかかるとは思わない。人間というのは自分だけが別だと思いたがる生き物であります。 

引用は「この「くに」の面影」筑紫哲也 より

筑紫さんもまさか、こんなことが自分の死後に起ころうとは、最後まで思わずに逝かれたのだろう。もし、ご存命だったら、何を言われたのだろう。
そういえば、今朝の新聞で読んだ、英首相を務めたアトリーの文章もまた、印象的だった。

民主主義の基礎は、他の人が自分より賢いかもしれないと考える心の準備です。

謙虚であること、長い目で、広い視野で、あらゆる指針を軽蔑せずに、深く考えること。
そのことの大切さを、私は思った。

2011/4/26