これからお祈りに行きます

これからお祈りに行きます

2021年7月24日

116

「これからお祈りに行きます」津村記久子 角川書店

 
なにか自分の大事なものを失ってもいいから、願いを叶えてほしい、と思うことがある。私にはある。いくつもある。
 
この本には、祈る人の体のどこかの部分を失うのと引き換えに、願いを叶えてくれる神様が出てくる。生贄とかそういうことじゃなくて、その神様はとても不器用なので、そうじゃないと願いを叶えられないらしい。ただ、どうしても取られちゃ困る部分を申告することはできるので、みんな、心臓とか、手とか、体の大事な、取られちゃ困る部分のレプリカを作って、冬至の日にお参りをする。そんな風習のある街が舞台になっている。
 
この本には二作小説が入っていて、もうひとつは別の町の話なのだが、やっぱり何かを犠牲にして願いを叶える話が載っている。どちらも、他者から見るとかなりな犠牲なのだけれど、祈る本人にしてみれば、それっくらい、ま、いいか、みたいな呆気無いというか、すんなり受け止めちゃうような犠牲だったりする。そして、その感覚が、ものすごくリアルなのだ。自己犠牲を美化するような話なんかじゃ全然ない。悲壮感もない。淡々とした日常の中で、ああ、こうあってほしいのに、とずっと願っていることが、ある日、ふっと叶う。そのためにちょっとなくなったものがあったと言って、それが何だというのだ、と素直に思えてしまうような真っ直ぐさが、ここにはある。
 
祈るとはそういうことかもしれない、と思う。私自身の大事なものよりも、もっと大事なものを守ってほしい、という切なる願い。祈るしかできないこともあるし、自分の何かを差し出したからといってそれが叶うわけでもないのだけれど、人が何かを祈る、願うとはそういうことなのだ。

2013/11/27