やがて満ちてくる光の

2021年7月24日

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「やがて満ちてくる光の」梨木香歩 新潮社

梨木香歩が職業としてものを書き始めた頃からの仕事を集めて一冊の本にしたもの。テーマも時代もバラバラだが、全体を梨木香歩というひとが、一本、貫かれている。

リンドグレーンが51歳差の少女と20年にわたって文通していた記録「リンドグレーンと少女サラ」の話が載っていた。

二人は生涯一度も会っていない。けれどこんなに愛し合い、慈しみ合う人間関係が可能なのだ。そのことに救われる思いがする。何よりリンドグレーンの真摯な生き方が、個人的な手紙の端々にも反映されていて胸を打つ。

当然のことながら、サラは昔の自分が書いた手紙を三十年間見ていなかった。自分が一〇代に書いた手紙を読むはめになったとしたら誰でも赤面するだろう。特にサラは、非常に困難な人生を歩んでいた。手紙は個人的な告白や悩みのオンパレードだ。それでも、サラが最終的にこの往復書簡の出版をオーケーしたのは、「世間のひとがどう考えるか」より、「自分が大切だと思うもの」を選び続けてきたリンドグレーンの勇気を思ったからだった。
                      (引用は「やがて満ちてくる光の」梨木香歩 より)

この文章は、この往復書簡の紹介に留まらず、リンドグレーンという人の本質をついている。私がリンドグレーンから受け取ったもの、そうありたいと願っていること、だからこそ彼女に子ども時代からずっと今も支えられていると感じていることの理由がここに書かれていた。

もう一つ印象に残ったのは「家の渡り」というエッセイである。引越し先を探していた彼女が、もうすぐ取り壊して土地を二つに分ける、という家を不動産屋に紹介されたエピソードである。その家は、庭といい、建物といい、好ましく、静かに時間がたゆたい、懐かしいとすら思える場所だったという。彼女はそこで何故かカール・バルトという神学者の名前を思い出すのだが、その後、調べると、その家の前の持ち主はカール・バルトの著作の翻訳者であった。また、その家はライトの弟子遠藤新の次男が建てたものであったという。「住宅の本質はその内部空間にある。」「常に目的とされるのは『内部』であり、この空間の形状が自然に外部の形をかたちづくるのである。住居とは、その中に住むためのものであり、見せるためのものではない。」・・・・という彼の言葉が引用されている。

この家がいかに懐かしく好ましく落ち着く場所であるか、どれだけ惚れ込んだかが延々と書かれているので、これはもう、ここを購入したのだろうな、と思って読んでいたら、あまりの価格に諦めた、後にこの建物は取り壊された、とあって、がっかりしてしまった。まあ、買えよ、とは言えませんけどね。こうやって古き良き建物が取り壊されて、ちっちゃな鉛筆みたいな住宅がその場所に何軒も建てられていくのが、都会の現実である。しかし、その場所への深い思い入れは、私にすら懐かしい場所であると感じさせるほどの文となっており、しみじみ読み返すほどであった。

他にも短いエッセイがたくさん入っていて、どれも良い文章であった。おすすめの一冊。

2019/11/8