リンドグレーンと少女サラ

リンドグレーンと少女サラ

2021年7月24日

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「リンドグレーンと少女サラ」

アストリッド・リンドグレーン サラ・シュワルト 岩波書店

 

つくづくと、図書館はこの世の喜びに満ちている、と思う。最近は書評で読みたい本を拾ってはネットで予約し、図書館の受付で受け取ったらおしまい、ということが多かったのだが、久々に書棚を端からゆっくり眺めて回ったら、ほーら、こんなお宝が。
 
リンドグレーンが亡くなったのは、もう十数年も前の話で、私が彼女の作品に人生を支えられたと知っている友人からは、まるで実母が亡くなったかのように「大丈夫?」と心配され、お悔やみの言葉をもらったものだ。私自身はもうとっくに覚悟ができていたので大丈夫だったけど、大丈夫だ、と言わなければならない程度には、彼女が大事な存在であったことは間違いがない。
 
もう亡くなってしまったのだから、新作が読めるわけはない、と思っていたが、何作かは新しい翻訳が出たりもして、そうか、こんなものも書いていたのか、と思ったこともあった。が、なんと。こんな新しい本が出ているとは知らなかった。不覚であった。
 
リンドグレーンは世界中の子供達から手紙をもらう人だった。できるかぎりそれに返事を書くようにはしていたが、膨大な量であったので、秘書がタイピングしたカードにサインをするだけにならざるを得なかった。私自身、そのカードを受け取った子どもの一人である。
 
そんな中、サラ・ユングフランツという少女が1971年から1985年までリンドグレーンと80通以上の手紙のやり取りをしていたことがわかった。このほど、サラはこの手紙の公開に同意し、本書が出されることとなった。
 
正直なことを言えば、なんでサラがそんなに手紙のやり取りを出来て、私はカード一枚だったの、と悔しく思う私である。サラは私より少しだけ年上だが、ほぼ同年代で、それなら私だってよかったじゃないの、と図々しくも最初は思った私である。が、この本を読んでみると、なるほど、サラだからだったんだな、と納得もする。
 
サラは決してお利口な子どもというわけではなく、不安定で勝手で偏っている。その年齢の子どもらしい見識の狭さにあふれてもいる。が、そこにほとばしる思いの深さ、言わずにはおれないやるせない気持ち、苦しみと喜びが、リンドグレーンの心の何かを打ったことはよくわかる。サラの家庭環境はあまりよくなく、場所を変えても人間関係がうまく行かなかったり、思春期らしく先の見えない恋に陥ったり、間違ったことに手を出しもする。そして、最後は宗教にのめり込む。ついタバコを吸ってしまったサラ、酔っ払ったサラ。自暴自棄になったサラ。そんなサラを、リンドグレーンはひとりの対等な人間として尊重しながらも、はっきりと自分の意見を、ひとつの他者の意見として、しかしながら愛情を込めて明示する。そして、どんなにサラがかき口説いても、宗教について、自分の態度を変えようとはしない。あくまでも、彼女の選択は尊重しつつ。
 
時を経て、サラは宗教的セクトからははなれ、幸せな結婚をして二人の子どもに恵まれながら仕事にもついている。彼女の人生が危うかった時、リンドグレーンの手紙はいつも支えとなったことがわかる。自分を愛し、認めてくれる人間の存在がどんなに人を支えるものかを私は改めて思う。そして、リンドグレーンという人が、サラのそれであったことを心から羨ましく思うし、そんなリンドグレーンをひとりの人間として尊敬し直すのだ。
 
思えば、私は手紙こそやり取りしなかったが、リンドグレーンの作品はいつも傍らにあった。彼女の存在はいつも私の支えであった。であるのなら、サラも私も同じではないか。と思うには、ちょっと羨ましすぎるが、だが、リンドグレーンと同じ時代に生きたこと、その作品を次々に読めたことの幸せを感謝したいともう一度思った。

2016/5/16