尼のような子

尼のような子

2021年7月24日

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「尼のような子」 少年アヤ 祥伝社

 

いつだったかレイナルド・アレナスの「夜になるまえに」を読んで、つくづくと思ったものだ。ゲイであることが、なぜ責められるのだろう、と。アレナスはキューバの作家でゲイだった。キューバでは、今はどうなのか知らないが、その当時は、ゲイであることそれ自体が罪であった。人間の感情なんて、自分の思い通りには動かない。誰かを愛してしまうなんてことは、ある時、あっと気がついたらそうなっているようなものだ。それを罪だと言われたら、もう、生きていることそれ自体が罪になる。
 
私が若い頃に比べたら、ゲイの人達はずいぶんと生きやすくなったと思う。おすぎとピーコを見出し、表舞台に連れだした永六輔は偉大だったし、美輪明宏御大もよく頑張らはった。私が大学生の頃なんて、まだ旧装丁の美輪さんのご著書「紫の履歴書」を読んでいたら変人扱いされたものだった。今じゃこの本は華々しい装丁に変えられて堂々と売られているし、美輪様のお写真を待ち受けにすると運が舞い込んでくるなんて言われるほどだ。あ、ちょっと古い情報か、これ。そこへマツコだとかミッツマングローブだとかも登場して、ゲイはすっかり市民権を得ている。
 
とはいえ。じゃあ、ゲイの人が、全く何の差別も受けず、違和感なく人に受け入れられているかというと、そうではない。以前と比べたら格段に良くなったというだけだ。
 
この本は、男性を好きになってしまう少年アヤちゃんの日記である。大好きな彼とデートするのだけれど、相手は単なる友達同士のお出かけとしか認識していない。罪悪感を払拭するために、アヤちゃんはひたすらお金を遣うしかないのだ。
 
彼に彼女ができたら、アヤちゃんは韓流に走って心を慰める。きれいな俳優にも心を奪われる。追いかけて、追いかけて、生きていく。
 
大学を卒業したけれどまともな仕事にも付けないで、家族をごまかしながら生きているアヤちゃんの初出版物がこれである。その後、二冊目も出してるんだよね。
 
文章に、心をつかまれることがある。ここからアヤちゃんはどこへ行くのか、どうやって生きていくのか。それが心配になる、おばさん読者である。

2015/6/1