わしの眼は十年先が見える

わしの眼は十年先が見える

2021年7月24日

「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」城山三郎

行きつけの古本屋100円コーナーにて。
倉敷の大原美術館をつくった人の評伝です。まだ日本で西洋美術が評価されていなかった時代に、一実業家が質の高い美術館をつくり、それを維持運営して現在に至っている、そのことのすごさを思います。

地方の小さな紡績会社を大企業に発展させる一方で、社会科学、農学などの研究所を作ったり、孤児院に多額の寄付をして名実ともに支え続けたり、紡績の職工たちの環境を改善したり、大病院を運営したり・・。十年も二十年も先を読んでいた人ではありました。

が。
読んでいて、すばらしいことを次々実現する人ではあるけれど、これって、お金がものすごくないとできないことだよね、と思ったわけです。そのお金は、どこから出てくるの?実業家としての収益だよね。いっぱい、儲けて集まったお金で、私欲に流されずに公益になることを実現した、としたら、それって・・・なんというか、税収を賢く運用する独裁者に近くない?なんて。

と思っていたら、こんな文に出会った。

ストライキは十日間続き、争議を指導した教化係と一部女子工員の退職で終息した。孫三郎は解雇対象の教化係を呼び、そのひとり、桟敷よし子に向かっては、次のように言った。
「時代ですよ。〈中略〉」争議のことについては、一言も触れなかった。もはや過ぎたことであり、そのことを問いただしたりしても議論がかみ合わぬことをしっていた。それよりは、むしろ人生のひとときをともにしてくれた友人として別れたい。その思いをこめた言葉であった。〈中略)
「私は黙って社長の顔を見た。資本主義社会での階級矛盾は、個人ではどうする事も出来ない鉄則で回る歯車であること。資本家個人の善意とか温情などは、もうけ主義の恥部をおおう‘いちじくの葉‘に過ぎないことなどを思った。」

(「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」城山三郎 より引用〉

スケールの大きな人でした。
ひとり息子を外遊させようとして、会社の重役たちに危険を理由に止められた。そのときに、子孫は、事業を存続させるためにいるのではない。過去の過ちを正すためにいるのだ、と言って、危険でもかまわないから行かせる、と言い切ったそうです。

人に尽くすことを知っていた人だったと思います。そして、時運に有利か否かではなく、大きな夢を持つ人を、心から応援した。

そのことの一方で、桟敷よし子のような感想もまた、成り立つのだなあ、と、それも思うのでした。その両方をさりげなく書いた城山さんって、すごい・・・。

大原美術館には、前からあこがれているのに、まだ行った事がありません。息子の受験が終わったら、みんなでいこうかしら。

2008/10/21