アーモンド

アーモンド

2021年7月24日

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「アーモンド」ソン・ウォンピョン 祥伝社

 

2020年本屋大賞翻訳小説部門第一位。韓国では第10回チャンビ青少年文学賞受賞作だそうだ。
 
アーモンド(扁桃体)が人より小さく、怒りや恐怖を感じない高校生、ユンジェの物語。感情を動かさない彼を心配して、様々な感情を教え込もうとした母と祖母が目の前で殺され(かけ)て以降、一人で生きていかねばならなかった彼の成長物語。
 
「心震える感動のベストセラー」だそうである。アマゾンでのレビューも褒め言葉で溢れている。んー、でも、なんだか違和感がある私。まだ読んでいなくて、これから読む予定の人にはネタバレしそうなので、ちょっと行をあけておきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
感情を持たない、動かさない彼が、親に棄てられた(ような状態の)友人やとの痛みを伴う交流や、足の早い少女への恋愛感情を通じて、次第に心を動かし、感情を持つようになっていく。それが素晴らしいハッピーエンドにつながる、のではあるけれど。
 
つまり、感情を持たないという彼の生まれつきの状態は不幸なものであって、感情をもてるようになったことこそが素晴らしい、ということなんだなあ、と思う。でも、他者の感情への想像力が生まれつき弱かったり、そもそもが喜怒哀楽の感情が極めて薄い人間だって、現実に世の中にはいるし、そういう人達だってそれぞれの人生があり、幸せがあるんじゃないの?とひねくれ者の私は思ってしまう。怒りを感じない、恐怖を感じない彼も、とてもチャーミングだし、それが本当に不幸なことだとは、彼自身は感じていなかったはず。だって、感情がないんだもの。であるのなら、感情を得ることこそが良いことである、という結論は本当に素晴らしいのか?と思う。
 
彼を平凡に、普通に、みんなと同じに育てようとやっきになっていた母親が、感情を得た彼を見たら喜ぶかもしれないけれど、でも、彼自身はどうなのか?感情のなかった頃の自分は不幸だった、と振り返って思うのか?それはなんか違うような気がしてしまう。
 
いろんな人間がいても良い、いろんなあり方があっても良い。ということとは離れてしまうエンディングだよなあ、と思う。友達のために犠牲になる、という方法論も、なんだか、感動的なのかどうなのか、それこそ私の感情は、変な方向に捻じくれてしまう気がする。
 
私の心は、それほど震えなかった。主人公の少年のことは、好きになったけれどね。ま、そんな人間もいる、ということで。
 

2020/8/17