イシ 北米最後の野生インディアン

イシ 北米最後の野生インディアン

2021年12月11日

111 シオドーラ・クローバー 岩波書店

アメリカの歴史は、インディアン虐殺の歴史でもある。ということを、私たちは忘れてはいないだろうか。インディアン時代のカルフォルニアの人口は、おそらく十五万人から多くて二十五万人だったと推定される。二十一のインディアン民族が、さらに小区分の二百五十以上に及ぶ部族や小部族に細分化していたが、そうした部族や文化のいくつかは、近代になってスペイン人やアングロサクソン人によって絶滅させられた。残された人々はすべて「保留地」に押し込められた。それはナチスドイツのユダヤ大量虐殺に匹敵するほどの撲滅行為であった。

ほぼすべてのインディアンが保留しに押し込められてから一世紀ほどたったある日、イシは、カリフォルニア州のオロヴィルの街に現れた。保安官は、イシ・・・野生のインディアンを捕獲して、刑務所に監禁した。ニュースを知ったカリフォルニア大学のクローバー教授とウォーターマン教授は、イシを保護し、大学博物館に住居を用意し、そこで働けるように環境を整えた。イシはそれからわずか五年後に結核で亡くなってしまったが、その間、彼らはイシの良き友人でもあった。

この作品は、クローバー教授の妻であり、文化人類学者でもある シオドーラ・クローバー によって書かれている。イシの友人でもあった夫アルフレッド・クローバーは、イシの物語の自らの執筆を望まなかった。それは、心の痛みのせいであろう、と娘であるアーシュラ・K ・ル=グウィンは序文で書いている。1900年にカリフォルニアにやってきた アルフレッド・クローバーは、無数のインディアンの部族の破滅を目撃しただろうし、そうした悲劇をかいくぐって生き延びたはずの良き友イシも、白人からインディアンへの死の贈り物ともいえる結核によって失ってしまった。それがどれほどの悲しみと怒りと責任を彼に負わせたか。だが、妻の執筆に彼は助力を惜しまなかったという。本書の出版を待たずに、彼は亡くなった。

この本は、イシの登場から過去にさかのぼり、北米インディアンの文化、そしてその滅亡の歴史を紐解いたのちに、イシの潜伏、そして街に現れてからの生活と死に至るまでを、客観性と深い共感をこめて描いている。イシという人間がいかに寛大で聡明であったかがそこから浮き上がってくる。

私はこの本を読んで、NHKドキュメンタリーで見た「アウレとアウラ」を思い出した。アウレとアウラもまた、少数民族の最後の生き残りであり、彼らの言葉を理解するものはほかに一人もいなかった。その孤独を思うと、気が遠くなるほどだ。イシは、近隣の民族であるインディアンや文化人類学者の助けを得て、かなりの言語交流が可能であったし、ある程度の英語も使いこなせるようになっていたという。だとしても、最後の一人であることの寂しさ、一人になるまでの数々の恐ろしくつらい出来事はどんなに彼の心を傷つけたことだろう。たとえ良き理解者を得たとしても、その孤独の深さは誰にも理解できないほどのものだったはずだ。

もう十年ほど前に、「大草原の小さな家」の感想を書いたことがあるのだが、その時も、あの本を、ただの美しく力強い開拓の歴史の物語として読むことはできなかった。それから、ディズニーランドに行ったとしても、例えば開拓者の歴史をたどるウエスタンランドなどで無邪気に楽しもうという気持ちにはどうしてもなれなかった。本当は、ほかの民族の住む場所であった大陸を、よそから大挙して押し寄せた「文明人」たちが我が物とし、平和に暮らしていた人々を追い払い、虐殺し、そこに自分たちの国を建てた。そのことに無自覚でいていいのか、とどうしても思うのだ。

歴史とは、戦いと虐殺の繰り返しなのだ、と改めて思う。私たちはいつになったらもっと賢くなれるのか。五十年以上も前に出されたこの本を読んで、あれから私たちは少しでも反省したのだろうか、と呆然としてしまった。