「トロムソコラージュ」 谷川俊太郎 新潮社 16
2009年5月発行の詩集。表題作は、ノルウェイ北部の都市トロムソで半ば即興的に書かれたものだそうだ。
「私は立ち止まらないよ」
というフレーズが何度も出てきて、それが心に沁み込んでいく。
いきなり違う話で恐縮だけれど、私はこの頃、中島らもが言っていた「ゆでたじゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬ」話をよく思い出す。ゆでたじゃがいもに味噌をつけて食べると、人は必ず死ぬ。近所のおじいさんがこの間亡くなったのも、若い頃に、うっかりゆでたじゃがいもに味噌をつけて食べたことがあるからだし、そういえば亡くなったおやじもその昔、ゆでたじゃがいもに味噌をつけて食べていた。この間葬式に行ったナントカさんも、どうもゆでたじゃがいもに味噌をつけて食べたらしい・・・という話。
これは、実際に、朝日新聞の「明るい悩み相談室」に寄せられた質問にらもが答えて、わりと物議をかもしたらしい話。思い出すたびに笑ってしまうけれど、一方では、実は深い真実を語ってもいる話であって。
そういえば、故・山田風太郎氏も、「人間の致死率は100%である」と書いていらしたっけ。
なんでそんな話を書くのかというと、時は止まらない、人は誰しも、死に向かって一定の速度で歩いて行くのであって。
時間て、経つんだ、とこのごろ私は思う。卑近なところでは、たっぷりあるように見えたトイレットペーパーも、いつの間にかなくなって、新しいペーパーを補充するときに、醤油差しになみなみ入れておいた醤油がなくなって、継ぎ足すときに。あるいは、まだまだ先のことのように思えたおちびの卒業式が、いつの間にか終わって、気がつけば、もう中学に制服を着て通っているという事実に、はっとするときに。
そうして、あの地震から、もう一ヶ月も経ってしまっているのに、まだこんな状態が続いているという現実を見るときに。
「私は立ち止まらないよ」と谷川さんは書く。
私はその言葉に、打ちのめされたようにも感じ、その一方で、笑いもする。立ち止まらないから、許されることもあり、立ち止まらないから、楽しいこともある。自由であることもある。
私は立ち止まらないよ。
だから、進んでいこう、今は、と思いたい。ゆでたじゃがいもは、たぶん食べてしまったけれど。でも、誰もがきっと食べているのだし。その日が来るまで、立ち止まらずに、前を向いて。
2011/4/18