ドラママチ

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2021年7月24日

「ドラママチ」 角田光代 文藝春秋

中央線沿線に住む、三十代後半辺りの女性の、何かを待っている物語が八篇。
待っているのは、子どもができることだったり、やる気が出ることだったり、別れることだったり、いろいろだけど。

その昔、いじわるばあさんの漫画で、女の一生は、「待つ」だ、というのがあって、今でも覚えてる。待っているのは、結婚だったり、出産だったり、帰りの遅い亭主だったりするんだけど、(亡くなるのを)待たれるようになったらおしまいですぞ、というのがオチだったっけ。

でも、たしかに子どもを育てていると「待つ」ことはとても重要な課題になるのが、体感としてわかる。そして、私は二人育てながら、ずいぶんといろいろなものを待つことを覚えた。今も、待っている。楽しいことも、つらいことも、怖いことも、いろいろあるけど、待っている。

人生なんて、実は何かを待っている間の出来事なのだな、と思ったりもする。「ドラママチ」はドラマチックな展開を待っているのだけれど、日常なんて、実はそんなにドラマではなくて、淡々とあたりまえに過ぎていくものだ。その、何気ないあたりまえの中のささやかな感情の波立ちをすくいとって描くのが、角田さんはとてもうまい。

角田さんの佐野さんへのサヨナラの文章が先日、新聞に載っていて、胸にしみたっけ。角田さんは佐野さんのファンで、ファンだと知った佐野さんは、角田さんを自宅に招いてくださったんだって。いいなあ。でも、緊張してろくにお話できなかったけど、佐野さんはそんなこと気にもしないで、いろんなうわさ話を楽しそうにしてくださったんだそうだ。ああ、見えるようだわ。

佐野さんも角田さんも、中央線沿線の人だ。
私は中央線沿線生まれだし、少し前まではそこに住んでいたから、佐野さんも角田さんも書く街の様子が、手に取るようにわかる。それは、私の物語でもあるような気がするほどに。

この「ドラママチ」も、角田さんは、中央線沿線の町を、そのまま書いている。出てくる道は、そのまんまだから、突き当りを右に曲がるとある魚やさんも、小さな机と椅子が置いてある古本屋も、壁にびっしりと違う時を示す時計がかけてある喫茶店も、タマゴサンドがものすごく美味しい喫茶店も、みんな知っている。
ああ、角田さんはそこにいてこれを見て、この物語を書いたんだ、とわかる。

この物語が、すうっと心の中に、ごく自然に入り込むのは、そのせいなのだろうか、それとも物語それ自体の力なのだろうか。
どっちもそうなのかもしれない。

2010/12/4