ヴェルヌの八十日間世界一周に挑む 4万5千キロを競った二人の女性記者

ヴェルヌの八十日間世界一周に挑む 4万5千キロを競った二人の女性記者

2021年7月24日

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「ヴェルヌの八十日間世界一周に挑む4万5千キロを競った二人の女性記者
マシュー・グッドマン  柏書房

ジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」は子どものころに読んだことがある。だけど、この作品が発表されてから17年後に、二人の女性が実際に世界一周に挑んだことは知らなかった。

1889年、女性記者のネリー・ブライとエリザベス・ビズランドは、ニューヨークからそれぞれ東回り、西回りで、どちらが早く世界一周できるかを競うレースに出発する。25歳と27歳。エリザベスは、当時まだアメリカにいたラフカディオ・ハーンとも友人であった。少女のような面影の、アメリカへの強い愛国心とイギリスへの反感を持つネリー。いわゆる美人で、イギリスへの憧れと共感を抱くエリザベス。逆回りの旅は、それぞれにやや違った感想を生み出したようだ。

ふたりとも、旅の途中で横浜に滞在する。どちらも日本については良い印象を述べている。清潔で、静かで美しい日本。とりわけエリザベスは日本を気に入り、その後もプライベートで日本を訪れているほどだ。

レースの勝者は絶賛され、敗者は注目されなかった。だが、その後の二人の人生は、また違ったものとなった。彼女たちの余生も含めて、この本は、とても興味深い内容だった。

ところで、気がついたことがある。ネリー・ブライは、旅の途中、インドで一匹の猿を手に入れ、その後、猿と旅を共にする。荷物を極力減らそうとした彼女は小さなバッグひとつと猿だけを連れて船旅をした。

・・・・・・これ、長くつ下のピッピじゃん!!と私は思ったのである。少女のようだったというネリー・ブライ。女の子がたった一人で、猿とバッグだけを抱えて世界中を旅する。まさに長くつ下のピッピそのものである。

リンドグレーンが生まれたのが1907年で、彼女の旅行は1889年。リアルタイムではないにしろ、子ども時代のリンドグレーンが、親や周囲の大人たちから、世界を旅して回った女の子の話を聞いたことがあったとしてもおかしくはない。などと想像をふくらませて検索をかけてみたら。なんと、リンドグレーンの誕生日は、ネリー・ブライが旅に出たのと同じ日付だったのだ!うーむ、こりゃ、さらに信憑性があるな~。ピッピ、こんなところにいたのか・・・と驚いたのであった。

2014/6/20