人生をいじくり回してはいけない

2021年7月24日

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「人生をいじくり回してはいけない」水木しげる 日本図書センター

 

「水木しげる展」を見て、この人は思ったよりもすごい人かもしれない、と思った。以前から妖怪アリャマタコリャマタ(荒俣宏氏)とメキシコに行ったりした話を読んで、只者ではないと思っていたが。(もちろん「ゲゲゲの女房」も見ていたんだけどね。)で、このエッセイを発見して読んだら、なんか胸打たれてしまった。エッセイ自体は、水木先生がかなりお年を召されてからのものなので、同じことを何度も繰り返したり、言いたいことだけを威張って言っていたりするのだけれど、それがなんとも非常に人間味あふれていて、いいのである。
 
 もし本当にいじめによる自殺を止めようというのならば、子供たちに「幸せになる術」を身につけさせる必要がある。自分にとっては何が幸せなのか、そのためには、何をすればいいのかを考える習慣を、それこそ学校で教えてはどうだろう。
 「幸せ」というのは厄介なもので、カシコイ人、エライ人の決めた単純な方法を守っていても、必ずしもうまくいかない。ひとつの道に固執するのは、かえって「幸せ」の可能性を狭めることになる。私は学校からも追い出され、会社に入ってもうまくいかず、そのたびに殴られたり笑われたりした。戦争で片腕をなくしたりもした。それでも平気だったのは、いつも自分にとって楽しいことを見つけ、自分が幸せになる術を身につけていたからだ。
            (引用は「人生をいじくり回してはいけない)水木しげる  より)
 
戦争中、ラバウルで不寝番に立っていた水木さんは、朝、美しいオウムが次々と飛び立つのに見とれていて、部隊に起床を知らせに行く時間を過ぎてしまった。起こしにいかんとあかん、と思った瞬間、部隊は機銃掃射にやられて全滅してしまった。不寝番で一人離れていた水木さんだけが生き残ったのだ。時間に遅れると殴られる。それが怖くてみんな時間を守るのに、オウムの美しさのほうが大事で、殴られることも忘れて時間を過ぎた水木さんは生き残った。他の部隊に合流したら、なぜ生き残ったのかと叱られ、殴られた。死んだほうが良かったってことなのか。戦争ってそういうものなのか。
 
現地の人達と仲良くなった水木さんは、戦争が終わったとき、そのまま残るようにみんなに説得される。畑もやる、家もやる、嫁も貰ってやる、死んだら鳥になるから大丈夫だ、お前はここに残れ、と。祖母のようにかわいがってくれる老婆も、父のように頼もしがってくれる大人も、親友になった青年もいた。だが、懇意にしていた軍医に、一度無事な姿を親に見せてからでいいのではないか、といわれて日本に帰ることにしたという。そうはしたけれどラバウルのあの島に、幸せというものは全てあった、と水木さんは言う。美しい自然があり、温かい家族や仲間がいて、豊かな作物と美しい鳥と花と緑があって、水が溢れていて、明日を思いまどうことなく日々を楽しく生きていた。それを振り払って日本に帰ったから、締切という地獄に追われるようになったのだ、と。
 
この本を、湿気の多い暑いベトナムからの帰路に読んで、なんだかしみじみしてしまった。ベトナムの子供たちは、生き生き、のびのびしていた。あんな笑顔、日本でめったに見たことがない、と思う。周りに気を使い、迷惑をかけないように、周囲に認められるように、顔色をうかがいながら生きるような子どもはいなかった。みんな、好きに走り、笑い、叫び、踊っていた。若い国、エネルギーのある国だと思った。ああいう幸せが、今、日本にはあるのだろうか。水木さんのいう、「幸せになる術」を、私たちは子どもに教えられたのだろうか。

2019/9/18