不寛容な時代のポピュリズム

2021年7月24日

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「不寛容な時代のポピュリズム」森達也 青土社

森達也は、何冊も読んでいる。いつも思うことだが、彼の考える事すべてに賛成しようとは思わないが、彼の姿勢には賛成する。流れの中で、たとえたった一人になろうとも、カッコ悪かろうとも、馬鹿にされようとも、頑固なまでに自分だけが思うことに固執し、深め、言い続けるという態度に。

耳障りの良い、あるいは賢そうに見える、スマートな知識人たちとは一線を画すオリジナリティが彼にはある。あらゆる「忖度」から自由な彼のあり方を、私は信用する。

だが、この本はハードだった。たとえば「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」の頃は、まだ救いがあった。この本で、彼は絶望を書いている。安倍政権に、心から絶望しているのだ。わかるよ、わかるよ、わかるけれど。と思いながら、私はぐったりと疲れてしまう。書いていることがいちいちわかるから、納得してしまうから、だから疲れる。なんでこんなことになってしまったのだろう。

この本は2007年以降にあちこちの雑誌に書いた記事を集めたものである。その中で、世のポピュリズムがどんどん手のつけようがない状態に陥っていっているのが読み取れる。日本だけでなく、世界的規模で。

戦禍は悪意から始まるのではない。善意や正義感から始まる。加害者の人権を尊重することは、被害者の人権を貶めることとイコールではない。世の中は◯と×の二項対立でできているわけではない。メディアに公共性なんてない。

絶望の淵で、では、これからどうすればいいのだ、と途方に暮れる。彼自身は、この本を出すことで、ドキュメンタリーを作ることで、自身の絶望とどのように付き合い続けるつもりなのだろう。覚悟とか、勇気とか。そういうものを、どのように見い出せばいいのだろう。身の回りの些末な、でも、重大な出来事一つ一つを片付けるのに精一杯の私には、社会や国家も、家庭や個人も、大して変わりのない、どれも同じ重みを持った問題である。
2017/8/3