世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい

世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい

2021年7月24日

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「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」

森達也 ちくま文庫

 

2003年に発行された単行本に章を付け加えて文庫化したのが2008年。そしてそれからさらに7年が経過している。これが最初に書かれた時は、オウムの問題がまだ生々しく残っていた。それが文庫化された時には、オウムそのものが話題になることは減り、だがその影響はあきらかにそこここに浸透し、社会を変えつつあった。そしていま、物事はさらに単純化し、価値は善と悪にあっさりと分かれ、以前なら決して人前で言うことなど出来なかったようなことを堂々と口にして恥じることのない人も増えている。と、私は感じている。読みながら、私はそうした社会の移り変わりを考えずにはいられなかった。
 
もう、忘れてしまっている人も多いと思うが、オウムの関係者は日本中どこにも住民登録をできない時期があった。(今は登録されているのだろうか?それすらも話題にならない。)筆者の住む千葉県我孫子市の市役所の正面玄関には「当市はオウム信者の転入・転居届は受け付けない」という張り紙が貼りだされていたという。そして、図書館には「信者への貸出や閲覧は禁ずる」と貼りだされた。
 
 その我孫子市役所の正面玄関には、以前から人の背丈ほどの立て看板が置かれていた。そこには大きな文字でこう書かれている。
「人権は、皆が持つもの、守るもの」
      (引用は「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」より)
 
住民感情として、オウムに忌避感を抱き、傍に住んで欲しくないと考えることは理解できる。来るなと住民が張り紙や立て看板などを出すことも、まだ受容できなくはない。だが、法を守り、国民を保護する立場にある自治体が、一定の宗教の信者を排除すること、それを堂々と公表することは、どう考えてもまちがいだろうと私は考える。それは、法治国家の原則をなし崩しに崩壊させる行為だ。
 
とある自治体では、オウム信者の集会所を、市民ボランティアが見張っていた。柵の向こうにはオウムの信者がいて、顔見知りになるに連れ、会話も交わすようになる。交代で近所のおじさんおばさんが見張りながら、おやつを食べ、お茶を飲む。あんたもどうだい、と信者に勧める人も出てくる。俗世の食べ物は駄目なんです、と申し訳なさそうに断る信者に、あんたもそんなとこ出て田舎にお帰りよ、と諭す人もいる。信者も、ごく普通の人間で、語り合い、笑ったり悲しんだりもするのだと彼らはわかっていく。
 
ほんとうに怖いのは、悪意に満ちた人間ではなく、善意にあふれた優しい人たちなのだ、と森達也はいう。私もそう思う。家族思いで、人々と語り合い、助け合い、日々を大事に過ごすような私たち一人一人が、ある流れの中に取り込まれ、集団となって暴走する時がある。それは、オウムだけではない。そして、流れの中にいる時、一人踏みとどまって考えている人間は、あたかも逆走しているかのように見える。みんなの邪魔をする悪い存在だと認識されてしまう。
 
そんなことは、ずっと昔から、なんどもくり返されてきたことだ。そして、今も変わらない。
 
森達也の監督したオウムのドキュメンタリー映画「A」も「A2」も、海外では高く評価されながら、日本国内では、上映すらなかなかできなかった。今もそうだろう。私はレンタルDVDで見ることができた。決してオウム擁護ではないこの映画を上映することすら許さないこの社会。知って、考える。それすら拒否する社会。その硬直性に疑問を持たないことが、私は恐ろしい。オウムの信者も、笑ったりしゃべったり冗談を言ったりする、ということを認めれば、絶対的な悪とされたものを容認することにつながってしまう・・・という思考が恐ろしい。ほんとうに恐ろしいのは、何なのか、誰なのか。
 
いずれにせよ、この本は、過去に書かれたものである。と、読んでいてつくづく思う。でありながら、未だに意味を持ち続けている。9.11や3.11を経て、私たちは何を学んだのか、どう変わったのか。オウムのもたらした影響は、いま、どこに潜んでいるのか。そんなことを、改めて考えずにはいられない本であった。

2015/5/16