鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

2021年7月24日

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「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」川上和人 新潮社

 

東京の区立図書館で予約を入れたら数百人待ちだったはずのこの本が、北関東の県立図書館の書棚にしれっと置いてあって、借り放題だ。こんな僥倖も、ときにはある。
 
著者は鳥類学者である。と言っても、読み勧めるとわかるのだが、最初から鳥が好きだったわけではない。全てはナウシカから始まるのだ。なんでナウシカから始まるのは、これを全部読み終えないとわからないけれどね。
 
だいたい、こいつ、ジブリ好きだな、というのは読んでいて徐々に分かってくる。この人の文体は、大いにひねってあり、ひねりすぎていて、時にうるさい。そりゃ面白いのだが、少しは黙っとけよ、と時に思うほど、つねにひねりまくっている。と同時に、ひねりかたが、しごく分かりやすい解説にもなってもいる。例えば、こんな風に。
 
 いわゆる自然科学の世界において重視される要件は、「反証可能性」と「再現性」である。「反証可能性」とは、証明したい事象に対してそれが正しくないことを証明する方法がありうるということである。これが担保されることは科学的な信頼性を得る重要な要件となる。
 例えば、私はハワイのビーチでお色気ムンムンの人魚を見たことがある。残念ながら私が見たのはビキニの眩しい上半身だけだったので、魚類らしさを醸し出す特徴的な下半身は見ていない。しかし、あの美しさはマーメイドに違いないと確信した。
 その一方で、私の友人たちは彼女を見ていないと言う。それも尤もな話だ。人魚はとてもシャイだし、その姿は選ばれし者にしか見えないのである。
 このような対象の不存在を科学的に証明することはできない。もし見つかればそれで話は済む。しかし、見つからなかった場合には、「だってあなたには人魚は見えないのですもの。ほんとうはいるのに」となってしまう。人魚だけに水掛け論だとか、なんだかうまいこと言いたくなってしまう。
 つまり、いることは証明できる可能性はあるが、いないことを証明できる可能性がないのだ。この場合、人魚が存在するという仮説に対して、反証可能性が担保されていないため、その存在を科学的に議論できなくなる。
 次に「再現性」とは、同じ条件をきちんと揃えれば必ず同じ結果が得られるということである。例えば、人魚と私が出会えば必ず一目で恋に落ちることが科学的に証明されたと言えば、それは何度出会っても恋に落ちるということである。来世でもきっと二人は結ばれる。
 必ずしもこれらが上手く成立しない場合もあるのだが、まぁだいたいそういうものだと思ってほしい。
        (引用は「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」より)
 
長い引用になったが、おお、これ、全部がひねりまくっておるのう、と感心したので思わず引っ張り出してしまった。すべての文章が、こんな感じで進んでいる。
 
で、ぐふぐふ笑いながら、実は鳥類について、全然知らなかったこと、思いがけなかったようなことにたくさん出会える本でもある。鳥なんて、たまにウォーキングできれいなきれいなカワセミに出会って、おお、美しい、と思う程度であったが、これを読んだら、俄然、興味が湧いてきた。今度小笠原諸島に行ったら、野鳥を丁寧に観察しようと思う。行く予定はないけどね。

2018/4/23