おやすみの歌が消えて

2021年7月24日

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「おやすみの歌が消えて」リアノン・ネイヴィン 集英社

 

本日は年に一回の健康診断だった。どうせ長々待たされるのだろうと、この本を持って行った。大失敗よね。検査項目ごとに、番号(今日の私は4000番)で呼ばれるのだけれど、本に夢中になっていると気づけない。名前で呼ばれれば、まだ耳に引っかかるのだけれど、番号じゃ無理。というわけで、何度も何度も呼ばれて、はっと気がつく、の繰り返し。スタッフの皆さん、ご迷惑をおかけしました。結局、あと少し残したところで健康診断は終了。そのまま帰る気にはなれないので、病院のカフェでコーヒーを飲みながら、残りを読破しましたとさ。
 
小学校に無差別銃撃犯が来て、銃を乱射。六歳の主人公ザックはクローゼットに隠れてなんとか助かるが、兄のアンディは殺されてしまう。その日から、父も母も変わってしまった。憎しみに心が壊れた母、なにも出来ない父、傷つけ合う家族の中で、ザックはもがき、苦しむ。とてもつらいけれど、お涙頂戴ではない、しっかりした視点のある物語。こういう辛い話が苦手な私も、最後まで読むことが出来た。そして、救われた。
 
何か問題が起きたとして、それを簡単に善と悪に分けることなんてできない。人は複雑な生き物だし、物事は、良いことと悪いことだけで出来ているわけではない。誰かに、なにかに罪を押し付けることですべてが解決することなんてない。悪の権化を見つけて、それのせいにして憎むというやり方は、なにも解決しない。ということを、私達は時として忘れる。でも、六歳のザックは、それを本能的にわかっている。
 
この物語は、六歳の子供の視点で描かれている。なので、小学校三年生程度の漢字しか使われておらず、文章表現も非常にわかりやすい翻訳がなされている。しかし、とても深い。あらゆる方向に目は向けられるが、決して散漫ではなく、すべてが必要なもので作られている。
 
わたくしごとだが、父が亡くなって以来、母の昔話を聴くことが増えた。母は、父の暴君っぷりをぽろぽろと話す。どんなに辛かったか、どんなに我慢したか。だが、その時、子である私や姉が、どんな思いをしていたか、どんな扱いを受けていたか、には驚くほど気がついていなかったことも同時にわかってしまう。そのことで、今更母を責めようとは思わない。私も似たようなことを我が子達にしているのかもしれないなあ、と思うばかりである。ザックの苦しみを、両親が、本当には理解できずにいたように。
 
子供は、知識も経験も浅いから、自分に起きている出来事を分析したり、原因を探ったりは上手に出来ない。ただ、そこに起きている物事を、感じ取ることは出来る。もしかしたら、大人よりもずっと深く鋭く、なにかを感じることは出来ている。だのに、大人はその事を忘れる。忘れない大人になろう、と思ったことを覚えているのに、やっぱり忘れている自分に、また気づく私である。
 
ザックは、自分のことで手一杯の両親の手を借りず、自分で一生懸命、考え、行動する。「マジック・ツリーハウス」を読んで、そこから幸せになる方法を見出そうとする。子供時代の私が、大人の手を借りずに一人で立派に生きてみせる「長くつ下のピッピ」に勇気づけられ教えられたように。本は、子供が大人に頼らずにものを考え、成長するための大いなる武器だ。
 
ザックがもがきながら、傷つきながら、進んでいく姿に私は勇気づけられる。子供を侮ってはいけない、とつくづく思う。憎しみに体中を支配されてしまった母親の気持ちも、同時に痛いほど理解する。なにも出来ない無力な父親にも、強く共感する。
 
理不尽な暴力、銃規制のない社会の恐ろしさ。それはまた、世界中にある紛争や戦争の問題にまでつながっていく。トランプも、安倍も、金正恩も、みんな読めよ、と思う。一生懸命生きる子供のように、私達は、本質的なものから目を離してはいけないのだ、と思う。

2019/5/17