京都の壁

京都の壁

2021年7月24日

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「京都の壁」養老孟司 京都しあわせ倶楽部PHP

割と京都ヨイショの内容なので、「京都ぎらい」の返歌みたいなものか?と思ってたら、案の定、前書きにその書名も載っていました。養老さんはそもそも鎌倉生まれの人で、京都とのご縁は「京都国際マンガミュージアム」の館長になったこと。以来、月に一度は京都を訪れていたそうです。

「京都ぎらい」では、洛中の人間の洛外差別などが批判的に描かれていましたが、養老さんに言わせれば、東京にだって下町と山の手に差異がある、会津で鹿児島出身だとは言いにくい、など日本中どこにでもそういう心理的障壁はあるではないか、とのこと。たしかにそうだよな。京都は日本の縮図、ギュッと縮めた濃厚な部分があるのかも、とは思います。

京都は城郭がない都市である、という指摘もなるほどです。そもそもが障子や襖なんて、指一つで開けられる仕切りしかないというのが、厳重な鉄のドアを作らねば安心できない西欧人とはぜんぜん違うものかもしれません。問題は心の障壁なのだよ。

ついでに言うなら、フランスにだって「パリジャン」「パリジェンヌ」がいて、かっこいいという意味もあれば、お高く止まってやがらあ、と言う意味合いもある。京都みたいでしょ、と。人種のるつぼと言われるニューヨークだって、実は混じり合っていない、モザイクなのである、と論破します。だよね。結局、人って、そうやって区別、差別、心理的障壁がなければ生きていけないのかしら。

「京都ぎらい」なんて読んで、京都人はよそ者に冷たい、なんて文句を言っても、京都は魅力に富んだ街です。紅葉の季節になると、京都の紅葉が懐かしい。たしかに関東ここいらにも美しい紅葉の景勝地はいくらでもあるけれど、京都の紅葉はちょっと違う。手間のかけ方、お金のかけ方、その歴史が桁外れに違いまんがな、とつくづく思ってしまいます。ああ、こうやって愛憎交々で、京都に何度も足を運ぶ凡人なのであります、わたくし。

2017/12/4