京都散歩 その3

京都散歩 その3

2021年7月24日

無鄰菴を出て、今度はどこへ行く?と相談する。夫は東福寺へ行きたいという。よし、じゃあ、行こう。で、東福寺って、どこ?と、いい加減な私。もっと南のほうだから、歩くと相当あるよ。というわけで、中年夫婦はタクシーを拾うのだ。

東福寺へ、というと、すぐタクシーが走りだす。さっき歩いてきた八坂神社の辺りをぐんぐん進む。なんか方向が分からなくなって、本当に東福寺へ向かってるのかな、とちょっと不安になる。だって、京都って、なんたら寺ってすごく多くて、「おうふくじ」とか「こうふくじ」とか「そうふくじ」とかありそうじゃん。ほんとに分かってるのかな?

本堂に乗り付けるのと、山道を歩かれるのと、どっちがよろしいですか、と運転手さんに尋ねられて、では、歩く方で、と夫が答える。と、いきなり車が止まって、そこには「東福寺入り口」とあった。おお、ちゃんと着いたではないか。

静かな狭い緑に囲まれた道を歩く。渋い寺門の向うから、子どもたちの歓声が聞こえる、と思ったら、そこは保育園だったりする。なんとも趣深い保育園だなあ。

深い谷に橋が架けられていて、深い緑が美しい。ここは紅葉の頃に来たら、どんなに素晴らしいだろう、と思う。でも、高所恐怖症の私には、少し怖い橋だ。

そういえば、京都なのに、外国人観光客に殆ど会わない。と思ったら、たどり着いた東福寺の入り口で、英語じゃない、ドイツ語っぽい言葉をしゃべる外人さんが一人、カメラを抱えていた。どこも観光客自体がとても少なくて、まるで私たちの貸し切りみたい。

東福寺にはいくつも庭がある。最初の庭にはたくさんのコインが落ちている。丸い石柱がコインを思い出させて、思わずお金を投げたくなるんだわ、とちょっと笑ってしまう。世界中どこへ行っても、人が硬貨を投げたくなる場所ってあるよね。

次の庭は芝の市松模様で、ここには誰も硬貨を投げたくないらしい。だよなあ、と思う。桂離宮にも市松模様はあったっけ。とてもモダンに見える。と、夫に言ったら、ここは比較的新しく作られた庭だからね、と。昭和に入ってからの作品なんだって。なるほど。

美しい庭の前で座って眺めていたら、隣にすわっている中年の女性二人が、ひっきりなしにしゃべっている声が聞こえた。
「それがね、私は悪い思いもなんにもないのよ。だけど、弟の嫁さんが、母を嫌うの。もう、相性がわるいのよね。何も意地悪なんてしてないのよ。でも、嫌うの。それが、悲しい。」
「そう、相性ってあるのよね。もう仕方ないじゃない。」
「だけど、母が冷たくされるのが、ただただ、私は悲しいの。」

夫が苦笑する。私もちょっと笑いたくなる。中年女は、どこへ行っても喋りたい。私だって喋りたい。心の中を、誰かにさらけることで、少し楽になりたいのだ。そうよねえ、こんな静かな美しい場所で、本当の気持を言いたくなるわよねえ。

東福寺を出て、いづうで修行した人が店を開いたといういづ松というお店で鯖寿司を買って、電車に乗って、帰宅。

降ったりやんだりの雨のおかげで、どこも人が少なくて、雨の雫に濡れて光る美しい緑を堪能した一日だった。

2011/7/6