仕事でも、仕事じゃなくても

仕事でも、仕事じゃなくても

157 よしながふみ フィルムアート社

よしながふみへのロングインタビューをまとめた本。よしながふみも良いが、聞き手の山本文子も素晴らしい。

幼少期から、小、中、高を経て、大学生となり、どのようにマンガと関わり、漫画家となって行ったのか。デビュー後、一つ一つの作品をどのように描き、それらをどのように捉えているのか。丁寧に語られる中から彼女の考え方の根本が浮かび上がってくる。仕事をして生きていくこと、善悪を断定しないこと、食を大事にすること、どんな人もフラットに受け入れること。いや、そんな風に書かれてるわけじゃないけど、そういうことだろうと私が読み取っただけなんだけど。

よしながふみの両親は共稼ぎで、だから、彼女は放課後、近所に住む親戚の家々を渡り歩いたりして過ごした。両親はマンガを読んじゃいけないとかこんな番組は見てはいけないとかは一切言わず、好きにさせてくれたが、話をするときは途中で逃げずに最後までしっかり話せ、と求めたという。改まって愛情を表現されたことはないけれど、大事に思われている、愛されているというのは何となく伝わったという話もあって、ああ、いい家庭だったんだなあ、うらやましいなあと思う。漫画を禁止されている友達が家に来てむさぼるように読んでいった話など、それは私だわ、と思う。そういう家に育ったからこそ、大人になったらちゃんと働いて自分で食べていこうと心に決め、それには弁護士がいいや、と法学部に入ったという。その辺りは私も似たような思考で法学部に入ったんだが。

家族は選べないしうまくいかないこともある、うまくいかない中での人間の在り方を描きたいとも思うという話が出てくる。また、親は親だというだけで子どもにこんなにしてくれるんだ、と思ったという話も。彼女の家族はとてもうまく行っていたのだろうけれど、それでもいろいろな親戚の家を見たり、友達の話などから思うところはあった。様々な人間関係を、とても静かに冷静に観察して感じ取っていたのだろう。根底にある温かさは、きっと育った家庭の信頼感の中で醸されたものなのだろう。

よしながふみのマンガは全部読んでいるかと思ったが、初期の作品は読み逃していることに気が付いた。いずれ見つけて読まなければ、と思う。学生時代の話などを読者が楽しんでくれるけれど、自分としてはつらい時期だった、ということが書かれていた。そうだよなあ、と思う。私も高校時代なんぞには絶対に戻りたくない。どんなに若くしてくれると魔法使いに言われたって、今が一番いいと答える。そういう実感が正直に話されていて、わかるわかると思う。

「フラワー・オブ・ライフ」という作品の話の中で彼女はこんな風に語っている。

大人だからきちんとした人なわけではないことは、やっぱり描いておきたいというのはありました。大人はただ年数が経っているだけの人間で、大人だからって立派な人であるわけでないというのと、子供は大人が思っているよりもずっといろいろなことを考えているときがあることも。経験が足りないだけで、考えてはいるのよと。

ああ、これだ、と私は思った。私も、ずっとそう思ってきたのだ。大人は子供より賢いわけではないし、子供は子供なりにちゃんと考えていて、そのことを大人は忘れちゃいけない。この根本のところが同じだから、よしながふみのマンガに私は共感するのだ、と。

それから、こんなことも彼女は語っている。これは「愛すべき娘たち」についての話である。

描くときに裁かないほうが好きなので、物語なんだけど、ドキュメンタリーのような気持になっちゃうんですね。ドキュメンタリーと同じで、私は切り取って提示するだけ。だから、「親子っていいよね」とか「こういうこと言う親は良くないよね」ということを言いたいわけじゃなくて、ただそこにある、あるがままを描きたいなと思っていました。(中略)

そして「ああ、なるほど」以上の感想はなく。その事情の発露の仕方をいいと思っているわけではないけれど、そこに至る因果はあって、それをそのまま物語にも出したいと思っています。「ああ、なるほど」体験を描きたいというか。(中略)

物事の内部構造を見せたいということなのかもしれません。こういう構造だったとわかるだけで、人によって救いになるときがあると思うんです。

これもまた、うんうんと頷かずにはいられない部分である。私が自分の家族の物語を振り返るとき、最終的にたどり着いたのはこれである。因果があり、そういうことがあった。その内部構造を知り、見据えることで、私はある種の納得を得て、救われる。そういう過程を確かに辿ってきたと私は感じている。

こういう姿勢、立ち位置の取り方が、彼女のマンガを形作っている、とつくづく思う。入り込みすぎないが、きちんと見据えている。そのまま受け取って内部構造を明らかにしていく。だから、すとんと胸に入ってくるのだ。

「きのう何食べた?」では、登場人物と共に年を取っていくという経験をしている、と語る。これには「島耕作」という大いなる先輩がいるし、食べ物に関しても「クッキングパパ」のような大先輩がいる、と楽しそうに語る。シロさんも還暦が近づいてきたし、いつまで続くかなー。生きていれば何かしらあるので、ずっと描けたらいい、というようなことが書いてあって嬉しかった。

よしながふみをもう一度読み直したい。そう思う本であった。

(引用はすべて「仕事でも、仕事じゃなくても」よしながふみ より)