光線

光線

2021年7月24日

150
「光線」 村田喜代子 文藝春秋

3.11以降、人はだれもがあの災害をどう捉え、どう乗り越えていくかという問題なしには生きていけないようになった。私ももちろん、そうだ。けれど、私は関西という場所に住み、遠くから報道を見ているだけだった。襲いかかる大きな波に言葉を失い、荒れ果てた街や失われた人々の命を思って、呆然とするしかなかった。原発に関しては、その危険性について十年以上も前から認知していたにもかかわらず、日々の生活の中で、それを忘れ、楽な生活を享受していた自分たちへの怒りのようなものもあった。そして、これからどうなるのだろうという絶望に近い感情もあった。殆ど何も変わらないこの地の生活と、そこで何をすることもなく生きる私自身に対して、後ろめたさや不安やいらだちもあった。しかし、その一方で、なにか、どうしようもない感情も、同時にあることに気がついた。それは、生きるということへの諦念のようなものかもしれない。残酷なまでの自然の凄まじさに対する敬意とでもいうような、おおっぴらに人には言えないような感情も、同時に私の中には起きていたのだ。

「光線」は、作者が、3.11の数日後に子宮体がんが発覚、治療を受けた体験が元になっている。放射線治療を受けること、福島の原発、そして隣国の脅威までもが、四篇の小説の中に混ざりあい、溶けこまされている。

怒りを表明する人、悲しみに打ちひしがれる人、できることを見つけて、淡々と努力する人。あの災害に対して、いろいろな態度をとる人がいた。私は、その中のどの人とも同じではなかった。いや、同じ、と言うよりは、ぴったりとした共感がなかった、というべきだったのだろうか。もちろん、それは、個々に置かれた状況が違い、個人の歴史が違い、価値観が違うのだから、当たり前だ。けれど、私は「光線」を読んだとき、はじめて、ああ、そうだ、と思えたのだ。置かれた状況は違うけれど、はじめてぴったりと心にしみる共感を持てたように思えたのだ。

2012/12/18