北緯66.6°

北緯66.6°

2021年7月24日

154

「北緯66.6° 北欧ラップランド歩き旅」森山伸也 本の雑誌社

 

とりあえず北欧びいきの私は、題名だけで、これは読もうと思った。
 
自分がこれまで蓄積してきた山歩きの経験がどこまで通用するのか、三十歳という節目に確認したかった作者は右も左もわからぬ異国の荒野に放り出されたいと願った。
 
候補地は三つ。北米大陸のアラスカと南米大陸のパタゴニア、北欧のラップランドだ。その中では一番情報が少ないラップランドが選ばれた。地図もガイドブックもないままに、彼はラップランドに旅立ったのだ。
 
準備も万端ではなかった。とりあえず、手に入る装備で歩き始めて、困ったらその時考えようというのが作者のスタンスだ。だから、実際に色々困る。地図がなかなか手に入らなくて時間を無駄にしたり、蚊の大群に襲われたり、風でテントが吹き飛びそうになったり、水場をやたらと歩くのにローカットの靴なので水が入り込み、かつ、防水性が高いためにむしろ足が乾かなかったり。そうやって困るのだが、一方では困ることを喜んで楽しんでいる風情が何故かある。
 
 痒いやら、暑いやら、苦しいやら、ハラペコやらで、もう逃げ出したい。なんでおれは、こんなところをひとりで歩いているんだ。
 自分の判断ミスでこうなっていることを棚に上げて、根本的な旅の批判をしはじめることは、ひとり旅にはよくあることである。もうこうなってしまった以上は即効性のある解決策は皆無であるので、自らのチカラで立ち直るまで放っておくしかない。(中略)
 最近わかったのだが、おれにはそんなところがある。つまり、それをやっちゃ困るのはわかっているのに、好奇心がそうさせるのか、それとも生まれつきのマゾヒストなのか、ついついやってしまうクセがあるのだ。
 たとえば、冷蔵庫の中に賞味期限が一ヶ月過ぎた納豆があったとする。俺はそれを食べたい。この「食べたい」は、単純に納豆を味わいたい気持ちと、これを食べたらおれの体はどうなってしまうんだろうという好奇心がない交ぜになった感情である。案の定、それを食べたおれはお腹を下す。そして、便所に駆け込む姿を「きゃはは」とおもしろがって客観的に見ているもうひとりの自分がいる。
 
ああ、これって探検部気質だな、と思う。こういう奴って、探検部に多いんだよね、と思いながら読み進めると、案の定、明治大学探検部出身だ。やっぱりねー。と思ったら、こんな探検部気質も発見。
 
 シワ1つないスーツを着てぴっかぴかの先がとがった革靴を履いて満員電車に揺られる一流企業のサラリーマンよりも、薄汚い敗れたTシャツを着て無精髭を生やし定職につかずふらふらしている探検部OBのほうがよっぽど俺には輝いて見えた。
 だって、キタナイ先輩は、マッチ一本で大きな火を作ることができた。ガスコンロとアルミ鍋でうまいホカホカ白飯を炊くこともできた。ザイルを使って校舎の屋上からすーっと忍者のように下りることもできた。ヒゲヅラのおっさんは、なんでもできたのだ。
 
          (引用はすべて「北緯66.6」森山伸也 より)
 
さて、そんな彼であるが、やはり準備が足りなくて、足にひどい豆が出来たり、肉離れを起こしたりして、不完全燃焼で一回目の旅が終わる。そして、また翌年にチャレンジするのだが、ここでもまた、意外な結末が待っている。まあ、それもよし、なのだろうが。
 
彼は、旅をしている自分を外側から見るけれど、内面を深めては行かないタイプかもしれない。だから、旅の話を読んでいても、旅は旅でしかなく、心の奥底に入り込んでいくようなわくわく感がない。旅本を読む側の私は、旅をする作者に同行しながら、作者の内面を旅することを楽しみたいのだが、そこんとこが、ちょっと弱いような気がする。
 
旅を通して、彼がどんな風に変わったのか。何を得たのか。そこをもっと書いてくれたらな~、と思うのであった。

2014/12/26