古本の時間

古本の時間

2021年7月24日

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「古本の時間」内堀弘 晶文社

いい本だ。読んでいて、心が静かに温まってくる。本を愛する人に通じ合う思いの深さにあふれた本だ。

もっともっととんでもない蔵書を抱えて四苦八苦している人は大勢いるだろうが、転勤族で数年おきに引っ越すことを考慮にいれれば、我が家の蔵書は限界近くまで来ている。できるかぎり、図書館で借りて読もうと心がけているが、気がつけばじわじわと本は増えてくる。老後は古本屋でも開いたら、と子どもたちは言うが、いやいや。この本を読むと、古本屋を開くには、我々はあまりにも勉強不足であることがわかる。古本屋は、商売ではなく、ひとつの生き方なのだ。

 「原爆関係文献二五◯◯冊一括」、入札会の出品目録にこんなものが載っていた。長い時間をかけて、一人の人が集めてきたコレクションなのだろう。これは、ちゃんと見ておこうと思った。
 会場に行くと、文字通り壁のように積み上げられていた。一縛り二十五冊で百本。報告書や研究所から、原爆を題材にした文学、漫画まで広がりは多彩だ。だが、八割以上の本は、それ一冊をとれば珍しいものではない。つまり、あの本が売れるとか、この本が高いというのではなく、それぞれが自在に繋がって出来上がっている二五◯◯冊の「壁」なのだ。これを買って、壁を解体し、自分の古書目録で再構築していけば、いろいろなことに出会えそうな予感がする。わくわくしてくる。
(引用は「古本の時間」より)

ああ、これは本好きの心理だ、としみじみ思う。一冊の本から次に読む本が決まり、その本を読むことで、また、新たな一冊につながっていく。そうやって、次々と集まる本を読み続けることで、新しい世界が広がり、複雑に絡み合う。個別に読んだのでは絶対に見つけられない真実に突き当たったり、新しい発見があったりする。本を愛するものは、本一冊一冊を読むだけではない。本の塊や壁を作り上げながら、繋がりを作り上げていくのだ。

古本屋は、新刊本屋とは違って、店主にしかできない書棚を作り上げることができる。棚の並びはそのまま店主の作品であり、ひとつの世界にもなる。そして、本を買いに来た客は、その世界に足を踏み入れる訪問者であり、冒険者でもあるのだ。

「昔日の客」がこの本の中でも大事な存在として扱われていた。「昔日の客」は古本屋のふるさとのような作品かもしれない。

2013/10/31