夜が暗いとはかぎらない

夜が暗いとはかぎらない

2021年7月24日

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「夜が暗いとはかぎらない」寺地はるな ポプラ社

寺地はるなをおかわり。良い作家だということがつくづくわかった。

ローカルな「あかつきマーケット」のキャラクター「あかつきん」を巡る人々のエピソードが一章ごとに主人公を変えて披露されている。どの人も、それぞれいいろんな問題を抱えながら、一生懸命生きている。一人ひとりが愛おしく思える。悪いことをやっちゃうやつも、要領のひどく悪い人も、きれいだとみんなに褒めそやされてもあんまり幸せじゃない人も、みんな、それぞれに自分の人生を生きているのだなあ、と思う。

子育て中に追い詰められて、夫の「義母さんに相談したら」というたった一言でぼろぼろ泣いちゃった母親の話なんてものすごくわかる。夫は親切で言っているのだけれど、それがどれだけ心に突き刺さるか。上手に説明するのって、難しいよね。この作者は、それがちゃんとできている。この人は、日常の中で、いろんな出来事やそこから思ったこと、気がついたことなんかをとてもとても丁寧に大事に紐解いて心のなかにしまっておいたのだろうなと思う。だから、それらが色鮮やかに描けるのだ。日々を大事に生きていたから、こんな作品が書けたのだろう。

伴侶が死んだ時全然泣かなかったじいちゃんの話。生きとるあいだに、十分大事にした、といい切ったじいちゃんのエピソードが、泣ける。

「けど、生きてる自分を大事にするのがいちばんの供養やと思ってる」
 たとえば、ばあちゃんから教えてもらったやり方で料理をつくること。それを食べて今日も明日も生きていくということ。ばあちゃんが生きていた頃と同じように、テーブルに花を飾ること。習慣だから、花を飾るたびにわざわざ思い出したりはしない。
 ばあちゃんはもうじいちゃんの一部になっている。ばあちゃんだけじゃなくて、今までの人生でかかわった人ぜんぶが、自分の一部だ。好きな歌を歌っていた歌手、かっこよかった俳優、仕事を教えてくれた上司、通りすがりの人がしてくれた親切。そういうもん全部、自分の中に取り込んで生きとる、とじいちゃんは言う。

           (引用は「夜が暗いとはかぎらない」寺地はるな より)

いいなあ、と思う。最近、いろいろな失敗が多くて老人力がついた、と思う。自分に残された時間に限りがあることに否応なしに気がついてしまって、自分がいなくなった後や伴侶がいなくなった後のことを考えると、気が遠くなる。でも、そうか、と思うのだ。自分が死んでも、誰か他の人の中に取り込まれて、細かくなった自分がどこかで生きているのかもしれない。私が死んでも、夫が泣きもしないで淡々と私がいたときみたいな朝ごはんを美味しく食べてくれたらいいなあ、と思う。夫がいなくなったら私にそれができるかどうかは自信がないけれど、そうできたらいいなあと思う。このじいちゃんは、そういう意味でとってもかっこいい。こんなふうに年を取れたら、と思わせられるじいちゃんであった。

2021/3/8