大量廃棄社会

2021年7月24日

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「大量廃棄社会 アパレルとコンビニの不都合な真実」

 中村和代 藤田さつき 光文社新書

 

第一部ではアパレル業界の、第二部ではコンビニや食品業界の、大量生産、大量廃棄の問題が追求されている。
 
一年間に10億枚の新品の服が、一度も客の手に渡らないで捨てられている。四枚に一枚の割合である。服には流行があり、売り始めると同時にそれらは陳腐化していくことをむしろ求められる。なぜなら、常に新しい流行に変わっていかなければ服は売れ続けないから。だから、在庫は常に残る。ブランド物は、安売りすればブランドイメージが傷つく。従って、売れ残りは直ちに廃棄償却することこそが企業にとっても得策である。
 
大手アパレルメーカーは、途上国に工場を作り、安い人件費で大量の服を作る。2013年、バングラデシュの「ラナプラザ」という八階建てのビルの縫製工場が倒壊し、千人以上の犠牲者がでた。違法に増築され、壁にヒビが入り、危険だと警察から指摘を受けていたにもかかわらず、工場は操業を続けていたという。バングラデシュでは女性の地位が低く、農村部では女性は一人で外出もできない。働き場所など皆無である。そんな中、縫製工場は貴重な女性の働き場所である。ファッション業界は、構造的に女性の低賃金労働によって支えられている。ファストファッションだけではない。高級ブランドといわれるメーカーもまた、同じ状況にあるのだ。
 
私が子供の頃、服は今よりも値段が高いものであったように覚えている。ジーンズが990円で買えるようになったのは、だいぶ後のことだ。かつてはもっと一着一着を長く大事に着ていたように思う。今は、シーズンごとに何着も服を買い、流行に遅れたものは容赦なく捨てられる時代になっている。大量生産、大量消費。それによって、資源は次々に消耗していく。
 
第二部では食料廃棄の問題が扱われている。いつの間にか定着した「恵方巻」の狂乱が最初に扱われる。コンビニやスーパーで毎年、2月3日、午後三時過ぎから大量の恵方巻きが捨てられる。バイトや店員は大量の売上のノルマを強いられ、自腹を切り、それでも半分も売りきれずに、残りは廃棄されていく。コンビニ本部は各店舗に昨年の何割増しかの営業努力を課し、昨年すら売り切れなかった店舗は、さらに大きなノルマに喘ぎ、結局は廃棄していく。クリスマスも、バレンタインも、お正月も、お花見も、同じようなことが起きる。日頃の営業ですら、沢山の種類がある中からおにぎりを選びたい、という消費者に答えるために、売れるよりも多くの商品を並べ、消費期限がすぎると捨てられていく。古いものは、このようにすぐに捨てて衛生管理をしています、ということがむしろ「売り」になるのが食品業界である。消費期限を過ぎたものを売るなど大罪である。そして、そのせいで、大量の食品は捨てられていく。
 
読んでいて、どんどん虚しくなっていった。もう、はやりの服なんて買うまい、と思った。あるものを着ればいい。次々に消費されるファッションに振り回されて、結局は捨てられるものの一部を通りすがりに着てているだけのように思える。スーパーでも、日付を見て、できるだけ新しいものを買うようにしていたが、そうすることで、日付の古いものがどんどん捨てられるのなら、古いものから買ってもいいじゃないか、と思えてきた。だって、食べられるんだもの。別に味なんて変わらないんだもの。恵方巻きだって、買うもんか。クリスマスケーキだって知るもんか。もっと、地道で着実で必要なものを必要なだけ買う生活をしたい。大量消費に巻き込まれたくない。そう思った。

2019/9/18