みどりおばさん、ちゃいろおばさん、むらさきおばさん

みどりおばさん、ちゃいろおばさん、むらさきおばさん

2021年7月24日

「みどりおばさん、ちゃいろおばさん、むらさきおばさん」


「ちゃいろおばさんのたんじょうび」


「ペッテルとロッタのぼうけん」


「あおおじさんのあたらしいボート」


「ペッテルとロッタのクリスマス」  エルサ・ベスコフ

ベスコフは1874年の生まれですから、古い絵本ですね。
五巻シリーズの第一巻目を試しに借りてきたら、私が読むより先に、おちびがはまりました。そして、残り四巻をさっそく予約して、全部読みきり、私に早く読め読めとうるさいの。お話したいのに、読んでないとストーリーは言っちゃだめでしょ、待ちきれない!って。

のどやかなお話です。絵も、とても細かく、美しい。眺めていて、穏やかな気持ちになれます。
緑、茶色、紫の服装をしたおばさん達と、お隣に住む青い服装のおじさんが、気の毒な境遇の子どもたち、ペッテルとロッタに出会って、かれらを引き取り、一緒に暮らして行く一連の物語。
大人達は、子どもたちに厳しく、でも、こっそり他の大人に見えない所で、うんと甘かったりします。

子どもたちが、いたずらが過ぎて、とんでもない事態に発展したり、大人に迷惑をかけても、おばさん達は、子どもの論理を優先します。
うまく行かなかったけれど、こんなことになってしまったのは、元々、良いことをしようとしたからだ、とわかれば、子ども達は叱られません。そして、無事であったことを心から喜ばれる。子どもが愛される、大事にされるって、こういうことだなあ、と思います。

子どもが大人を心配させたり、困らせたりすると、叱られますよね。社会性の面から考えると、人に迷惑をかける行為は悪です。でも、子どもは、悪を為そうと思って行動しているわけじゃありません。経験不足で、うまく行かなかったり、たまたま、間が悪かったり。行動の発現の本質的な所には、とても純粋な気持ちが存在します。

それを、私はすくいとってやっているかしら。社会性の名のもとに、「私が」心配して嫌な思いをしたから、「私が」困ったから、「私の」不快を叱っているだけで、子どもの立場に立ってやっていなかったのではないかしら。
そんな反省も、ちょっとだけ、してみたくなるような本です。

まあ、それだけじゃ、やって行けないし、やっぱり、叱るんですけどね。おちびが、これをうっとりと読んでいた理由も、ちょっとだけ、わかる気がします。

北欧の児童書は、ほんとに、温かみにあふれたものが多いです。パルティオのお友達に、「長く厳しい冬、屋内での暮らしを大事にしてきた人々の英知と歴史が息づいている」と、教えていただきました。リンドグレーンも、トーベ・ヤンソンも、北欧の誇る、すばらしい児童文学作家ですね。

おちびは、今まで、本は私に読んでもらうもの、たまに自分で読むこともあるもの、と思っていたみたい。でも、この夏に、突然、読書に開眼してしまいました。自由研究で、星について調べて、神話の面白さに気がついたのがきっかけかもしれません。

今まで見向きもしなかった、分厚くて手ごわそうな本にも、勇敢に立ち向かっています。それは良いけれど、実は、絵本コーナーにも、まだまだ楽しい物語は眠っているのだよ、といいたくて、ためしに借りてきたのが、大当たりです。

いませんか?お子さんが、絵本のコーナーで面白そうな本を探していると、「まだそんな絵ばっかりの本を読んでるの?もっと、字を読みなさい、字を」なんてて言ってる親御さん。違うんですよ。中学年、高学年になったからこそ、味わえる素敵な絵本が、まだまだいっぱいあるんです。お子さんと一緒に、絵本コーナーも覗いてみてください。

2008/9/3