愛すべき娘たち

愛すべき娘たち

2021年7月24日

「愛すべき娘たち」 よしながふみ

「母は娘の人生を支配する」 (2・18記事参照)に、事例としてこの本が載っていたから、読んでみた。
うーむ、よしながふみは、やっぱりすごいなあ。
作為的に持ってきたであろうエピソードもあるけれど、それでもちゃんと、こなれていて、唸ってしまった。
愛すべき・・って題にもある通り、ちゃんと登場人物に愛がある。
作者は、愛情を込めて、描いている、と伝わってくる。

いろんなオンナがいるのよ。
げええっ!て思うような、あっけにとられるような、嫌悪感を抱くような、いろんなオンナがいるけれど、みんな、作者に暖かく描かれている。

そうなのよ、そこなのよ、その視点なのよ、よしながふみって。

大学講師に迫って、とんでもない行為に及ぶ、とんでもない女子大生なんて、どこにも同情の余地が無いように思えるけれど、彼女にも愛は注がれる。
でね。こういう子、ホントにいると思うのよ。
いや、表現方法はもっと多様だとは思うけれど。
こういうオンナは、実は、たっくさん、いる。
オンナとしてのカラダでしか勝負できない、それ以外の部分で関係性を持つことができない、それを怖がる。
そういう在り方にすら、まっすぐな愛を注ぐ彼女に脱帽だね。
そうか、そうなのか、って思う。

「母は・・」にも載っていたエピソードを読んで、私は思い出してしまった。
美しい容貌を持つ娘に、お前は出っ歯で可愛気が無い、と言い続ける母親の話。
というのも、自分が、かつて、顔だけは美しいけれど、根性のひどくネジ曲がった友人にいじめられた覚えがあるので、そんな子になってしまってはいけないと思ったからなんだそうだけれど。
そのせいで、娘は、本当はとても美しいにもかかわらず、容貌にコンプレックスを持ってしまった。
そのコンプレックスもちの娘の、そのまた娘は、反対に、肩幅の広い、男みたいな可愛げのなさなんだけど、母親に「かわいいわよ」と言われて育ったのね。
祖母は、反面教師だったというわけ。

自分語りになってしまうけれど。
私、幼稚園は音楽学校の附属幼稚園だったんですね。
そこは、幼児に音感教育を施すところで、通常の保育時間開始前に、音楽のレッスンがあるの。
字より先に、音符を覚えました、私。
先生が鳴らす音を聞きとって、音名で答え(それもツェーとかゲーとか言う奴ね。)、五線紙に、書き取る。
単音から始まって、和音、メロディ、いろいろやりました。

私、なぜか、クラスのほかのおともだちが全然いない教室に入れられて、レッスンは難しくて、しょっちゅう間違ってばかりで、そして、何故かひとりでとぼとぼ保育教室に戻ると、もう、とっくに朝のご挨拶とかが始まっていて。
ああ、私はついていけないんだなあ、できないんだなあ、って子ども心に思ってました。

体が弱くて、入院、手術したりということもあったし、それで仕方なかったのかな、って、思っていたのですが。

ところが、衝撃の事実。
つい最近、知ったんですよ、ホントに、ここ五年ほど前かしら。
私だけ、ずっと上のレベルのクラスに入れられてたんですって。
テストして、この子はできるから、って年少さんなのに、年長さんの、それもトップクラスに入れられて、うんとレベルの高いことをやらされてたんですって。
と、母が今頃、教えてくれたのよ。
あなたは出来が良かったのよ、だから特別だったのよって。

ええええ!
何で教えてくれなかったの、と聞いたら、だって、それであなたが天狗になって、自慢していい気になったら困るから、高慢な子にしたくなかったから、言ってはいけないと思ってたの、と。

私は、一番ダメな子だと思ってました。知りませんでした。
ずっと、それから、私は出来ないから、ダメだから、って思ってた。
まあ、でも、そのおかげで、小学校時代、やりたくなければ宿題もやらない、勉強なんて全然しない、楽しく遊びたい、いいじゃん、の生活を送ったのだし。
ピアノだって、自信が無いから全然練習しなくて、どんどん駄目になったけど、それだって、本当に才能があったら、そんなことに関係なく、ちゃんと練習もしただろうし、伸びたんだろうと思うから、いいんだけどね。

優等生だった姉は、きちんとしなければいけない、できなければいけない、という呪縛に苛まれて、失敗したりうまく行かないことを恐れて、がんじがらめで大変だなーって、それは、大人になった今ですら、見ていて感じることがある。
私がずっと好き勝手できたのは、ダメな子だって最初に自分で諦めたおかげかもしれないから、何が幸いするかわからないのだけどね。

作品に戻ろう。
自分の娘より三才も年下の男と再婚する母親。それが、美貌なのにコンプレックスを持ってしまってる女性、その人なのだけれどね。
再婚相手の年若い男も、実は、うんと年上の女性じゃないとだめなんだ、というちょっと変わった性癖を持ってしまっている。
その人のセリフに、私は本当に、ガーンと射抜かれた。

それは麻里さんだってきっと分かってると思うよ
けどそういう事情が分かったところで 一担できあがっちゃったコンプレックスがなくなる訳ないじゃない
分かってるのと許せるのと愛せるのはみんな違うよ

僕は少しおかしいのかもしれないけど治す気なんて無いね
だから麻里さんを好きになった時はもう我慢しないと思った だって俺は何も悪いことはしてない

(「愛すべき娘たち」よしながふみ より引用)

自分の中にある、本当はおかしいかもしれない部分、間違っているかもしれない部分を、まっすぐ見据えて、でも、それを治そうとなんてしないで、そのまんま受け入れて、認めて、愛してしまえたら、それでいいんだな、と私も思う。
それは、「愛すべき私」なんだと思う。
そう思えるまでに長い時間がかかったけれど、今は素直にそう思えるし、そう思えるようになるために、いろんな人に沢山の愛情をもらったと思う、感謝したいと思う。

そんな気持ちを、この本を読んでおさらいできたかも。
よしながふみ、やっぱすごいっす。

2010/3/5