憲法九条を世界遺産に

憲法九条を世界遺産に

2021年7月24日

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「憲法九条を世界遺産に」大田光・中沢新一 集英社新書

うーん、最近、危ない橋を自ら望んで渡ってるかも。この本も、うっかりすると大論争の元になってしまいそうで怖いんだけど。まあ、でも、読んだし、結構楽しんだのだから、記録しておこう。

大田光という芸人を、私は結構買っている。彼は、驚くほど純粋な人間だ。そして、とてもよく本を読み、よく考えてはいる。そして、表現しようとする、怖がらずに。あるいは、怖いのに、表現せずにはいられない、というべきなのかもしれない。

彼の「太田総理」という番組は、あんまり好きじゃなくて、見ていなかった。だって、結局水掛け論を聞かされるだけだったんだもの。だけど、お笑い芸人の彼が、なぜ、あんなにもむきになって、あんな番組を作ろうとしているのか、そこにはちょっと興味があった。

「憲法九条を世界遺産に」というフレーズには、思った以上に、胸を打たれる。憲法九条は、ややこしい。もう、三十年も前に、大学で憲法を習ったとき、いつも明快な教授が、ややこしいことを言った。実にあいまいなことを言った。というか、あいまいであるしかないのである、という言い方をした。おお、大学でさえ、このように教えるのか、そうかそうか、と私は驚いた。そして、そういう九条なのである、と理解した。九条は、私たち日本人にとって、ややこしくて、あいまいで、でも、簡単に捨てたり否定したりするのも難しくて、大事にしたいけど、やっぱりちょっと重たすぎて、不便なところもあって、だけど、案外いい奴なんだけどな、とかも思ったりする、これからどう扱っていいか、みんな戸惑っている、そういう存在なんじゃないかと思ったのだ。

世界遺産に、というのは、そういうことだ。ある意味、ものすごく珍しくて、後にも先にも、こんなものは作られないだろうし、歴史の中の象徴的な存在であるし、そして、見れば、美しくもある。本当に役に立つかどうかは別の問題にして。そういう意味で、ものすごく見事な表現だと思う。

図書館の棚で、この本を見つけて、だから、どんなことが書いてあるんだ?とすごく興味を持って、借りてきた。そうしたら、なんと、話題は宮沢賢治から始まるのである。わくわくするじゃないか。なぜ、九条と宮沢賢治。

宮沢賢治が、一時、田中智学の思想に傾倒して熱狂的にのめりこんだ、そのことを、後世の文学者の多くは、一時の気の迷いと捨て去ろうとしているけれど、そこをもう一度考えるべきだ、というのが太田の主張だ。田中智学の思想は、やがて戦争へと繋がっていった。

という切り口は、とても面白いし、さあ、そこからどこへ向かう?と私はわくわくするのである。だけど、そこから先、なんだか違う方向へ話は進んでしまうのね。賢治はどうした、賢治は。

結局、枚数が足りないのね、時間が足りないのね。私は、もっと宮沢賢治に切り込んで欲しかった。井上ひさしが「イートハーヴォの劇列車」で情けない賢治、駄目な賢治を描きながら、最後に希望の切符を振りまいたように、賢治のダメダメな部分を、どう料理して行くかが見たかった。私も、賢治のわがままな行動、宗教的にのめりこんで周囲を振り回した行動に関して、疑問をずっと持っていたから。そのことと、彼の美しい作品とを、どうつなげるのか、というのは、気になっていたことだったから。

とはいえ、話はどんどん違うほうへ進むのである。太田は、芸人として、これからも表現していきたいと語っている。彼は、政治家になるのではなく、芸人として、切り込んで行きたい。

古典落語を聞いていると、武士というのは、たいがい偉そうにしているバカなやつというギャグの対象として出てくる。江戸時代の民衆はそんな落語ネタでストレス解消をしてたんだろうけど、じつは、武士道もいいけど、行き過ぎると危ねえぞという感覚を持った人たちがいっぱいいたんじゃないかと思います。その感覚をうまく落語が表現していた。改めて言葉や表現を考えたときに、この古典落語のような表現に、すごく大事なことが隠されている気がするんです。
昔から日本には武士道もあったけれど、落語の文化も一緒に持っていて、うまくバランスをとってきたんじゃないかと。日本人がこれは正義だと信じる美しい武士道精神がある一方で、「いや、ちょっと待てよ」とそれを茶化して薄める芸というか、表現というか、僕がやらねばならないのは、そこかなと思っているんです。

なるほど、彼が目指しているのはそこだろう、と私も読んでいて思う。そして、芸人というものは、実はすごい力を持っていて、大事な部分を受け持つことができる、というか、今までだって受け持ってきた存在なのだろうと私は思う。笑いは、時として、すごい力を持つからね。今、薄まった芸人が多い中で、太田が目指しているのは、違う方向なんだろうというのは、わかる。

まあ、でも、この本は、太田という人を知るための本ではないのであって。だというのに、結局は、太田がどんな風に考えて芸人をやっていくか、という本のように読めてしまった私だったりするのだな。それはそれで面白かったのだけど。そして、彼が九条にどんな思い入れをもっているのかも良くわかったけれど、だけど、それを読者に説得しようと思ったら、もっともっと厚い本にしないと伝わらないのかも。言葉が足りなすぎる。

ってか、それを本でやっちゃったら、太田、芸人じゃなくなっちゃうか。

引用は「憲法九条を世界遺産に」太田光・中沢新一 より

2011/6/10