結婚

2021年7月24日

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「結婚」末井昭 平凡社

「自殺」の末井昭の本。末井昭は、西原理恵子の若い頃の「まあじゃんほうろうき」に「すえいどん」として登場する。顔がニキビ跡でボコボコで、先物取引や博打に大金を注ぎ込んでは借金を重ねていくダメダメな雑誌編集長だ。その末井昭が坪内祐二の奥さんと不倫している時期、オンタイムで「噂の真相」を読んでいた。もう十数年も前の話だ。その時の不倫相手の美子ちゃんが、この「結婚」のお相手である。坪内祐二は、美子ちゃんが、「好きな人ができた」言った時「君はアーチストなんだから好きにすればいい」と言ったというし、相手が末井さんだと知って「神様はいるんだね」と言ったという。坪内さんは、美子ちゃんが幸せならそれでいいと泰然としていたそうだ。

んー、でもさ。その後、坪ちゃんはすぐに別の女の人と住み始めるんだし、ただ単に渡りに船だったんじゃないかって気もするんだけど。実際、美子ちゃんは、坪ちゃんちと末井さんちを行ったり来たりしながら、坪ちゃんに対しては嫉妬の念にかられていたというし。なんかわからん。自分で家を飛び出して新しい恋人のところに行っておいて、夫が別の女性と仲良くすると嫉妬するって、あんまりだ、と思う。でも、人間って矛盾に満ちた動物だからね。私はそんな状況になりたいとは思わないけれど、そういう心情もあるのかもしれん。少なくとも、美子ちゃんは自分の気持には常に正直だったということは確かだ。どんなに誤解されようと、本当のことを言っていたのね。

末井昭は、幼いころに、母親が近所の青年とダイナマイト心中をして、父親は自堕落で、末井さんの恋人に手を出そうとするくらい見境ない人だったという。だから、家庭はめちゃくちゃだった。安心できる、信頼できる家族なんて、もったことがなかった。そんな末井さんに、美子ちゃんは結婚する時、たったひとつ、嘘だけはつかないと約束させる。それまで、女の人に本当のことなんて何一つ言ったことがなかった末井昭、そこから、美子ちゃんにだけは本当のことを言わねばならなくなったのである。

面白いなあ、と素直に思う。人は、自分に自信がないと本当のことを言えない。その場その場で、相手が受け入れてくれそうなこと、喜びそうなことばかり言って、それに自分を併せて、だからどんどん無理がたたって、でも、やめられなくて、何が本当なのかもわからなくなる。そして、相手が喜んでくれるようなことを言うのが誠実だと勘違いしたりもする。それが常態化している人間にとって、本当のことをいう、というのは、ものすごくハードルが高いことになってしまう。

中年になって、不倫の末の結婚で、本当のことしか言えなくなって、末井昭は、幸せというものを見つける。だろうなあ、と思う。本当のことだけを言えばいい生活は、幸せだ。相手の顔色を伺って、「それとなく」しか物を言わなかったり、口をつぐんだり、開けば飾りに満ちた。真実とは形を変えた言葉しか言えなかったりすることに比べて、かっこ悪くても、相手を怒らせても、追い詰められたとしても、本当のことしか言わない生活のほうが、遥かに幸せだと私も思う。ただそれだけのことに、末井昭は気づいた。たぶん、この本はそのことを言おうとしているんだと思う。時間がかかったけれど。

正直であること、率直であること、本当のことを言えること。その価値について、私はこのところ考えている。それとなく匂わせたり、相手によって違うことを言いながら、自分の立場を守り、ある程度の快適さを保つ生き方にを選んできた人を身近に見て、それを悲しいと思うことが多いからだ。長い間、そういう生き方をしてきた人は、もう、それ以外のやり方を見つけることができなくなっている。他者の選んだ生き方を悲しいなどと感じること自体が、傲慢なことかもしれない、と思いながら、それでも私は寂しい、悲しい。

私は、本当のことを言える人間でありたい、と思う。正直でありたい、と思う。それは、それが道徳的に正しいとか、正義であるからではなく、そうすることがきっと一番生きるのが楽で、幸せになれると思うからだ。

そんな事を考えながら、この本を読んだ。末井さんは、間に合ってよかったね。美子ちゃんに出会えて、きっと幸福だったんだね。

2018/5/15