承認をめぐる病

2021年7月24日

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「承認をめぐる病」斎藤環 日本評論社

 

可愛らしい表紙絵とは裏腹に、かなり難解な本である。
 
若い世代の就労動機がもはや「生活の糧」よりも「承認」を求める傾向になっていることが著作の動機だそうだ。他者から承認されなければ、自分を愛することすら難しい「承認依存」についてこの本は論じている。
 
私は「エヴァンゲリオン」を全然知らないのだが、この本の冒頭ではそれについて熱く語られている。まったくストーリーを知らないものでも、それを読んでいくうちに、おぼろげながら、どんな物語なのかがだんだんわかっていく。この物語が、なぜ、若者に熱狂的に受け入れられたのか。そして、そのラストについて賛否両論あって、二種類のエンディングが作られるに至った経過が、なんとなく理解できるようになる。
 
「承認の病」を回避する方法はすでにいくつかある。①他者からの承認とは別に、自分を承認するための基準をもつこと。②”他者から”の承認以上に、”他者への”承認を優先すること。③「承認の大切さ」を受け入れつつも、ほどほどにつきあうこと。
 多くの「成長の物語」には、あらかじめそうした「落としどころ」が用意されている。①が最も一般的な解決策だが、これと③はしばしばカップリングしている。その例は無数にあるが例えば私は映画『おおかみこどもの雨と雪』を、主人公・花のそうした成長の物語として観た。②については、佐野洋子『100万回生きたねこ』(講談社、一九七七年)がわかりやすい例といえよう。
 エヴァという物語の最大の特徴は、その徹底した「成長の拒否」にある。エヴァの呪縛によってチルドレンたちが成熟できない、という意味ばかりではない。物語の初期基本設定から、入念に「成長」や「成熟」の可能性が排除されている、ということだ。だからエヴァは終わることができない。
         (引用は「承認をめぐる病」斎藤環 より)
 
かつて人々は食べることのために就労した。だが、今、若者は承認のために就労を求める、と筆者はいう。
 
たかにそうだ。就労だけじゃない。みんな、承認が欲しくてたまらないんだな、と思う。就労を控えた若い世代だけではない。だれだってそうだ。子育て中の若い母親が、家で子どもとふたりきりで過ごして気がおかしくなりそうな時がある。暇で好きなコトができていいな、などと脳天気な夫に言われると、絞め殺したくなる。それだって、何の承認もない状態に捨て置かれた若い母親の絶望的な状況だ。
 
筆者は、若者がいかにして「良い子」を卒業するか、の重要性をとく。青年期以降の家族は「他者」としてのスキルの形成に寄与することはない。自分を無条件に支持してくれる第三者が可能な限り複数存在することが大事だという。
 
第三者の存在は、大きな鍵になっている。家庭内暴力においても、初期の段階で第三者を介入させることが、暴力を止めることへの大きな力になることを指摘している。親が子どもの言いなりにならず、子どもの暴力に対して、避難し、あるいは通報することが必要である、と明言している。
 
話題はあちこちに広がるが、最後に述べられている予防精神医学について、私は考えこんでしまった。精神疾患のハイリスク者への早期介入に対し、筆者は懸念を見せている。その理由についてはあまりにも専門的な知見が述べられているのでここでは触れない。が、結局はこれも利権の問題・・というか、いかに薬をたくさん売るか、という問題に帰結してしまうのか、と思えてならない。
 
筆者の言う画期的な「早期介入」方法がある。予防投薬などよりもはるかに有効な方法だ。つまり、早期治療を最大一年間は無料にすれば、予防精神医学は大きな成功をおさめる、というものだ。けれど、これが採用されることはきっと無いだろう。なぜなら、そこで儲けるものが存在しないからだ。
 
結構難しい本なので、ちゃんと読んで理解できたとはとても思えないのだが、文章の断片から、いろいろなことに考えが伸びていき、個人的にものを考える契機とするには結構役に立つ本であった。

2014/2/17