日本の路地を旅する

日本の路地を旅する

2021年7月24日

「日本の路地を旅する」 上原善広 文藝春秋

夫からのオススメ本。
夫は路地や狭いごちゃごちゃ道が好きで、だから、ベニスや尾道が好きだ。というわけで、この本も、そういう類の本かと思ったら、そうじゃなかった。

中上健次は、被差別部落のことを「路地」と呼んだ。この本の作者は、大阪更池の「路地」にルーツがある。そして、全国の「路地」を歩いて周っては取材執筆している。そういう本だった。

最初は、被差別部落を訪ねて歩いている割には、軽いというか、さらりとしているというか、あっけないものだな、という印象で読み始めた。人があちこち移り住み、住環境も整備されていく中で、被差別部落も又、ある風化を呼び、人々はあまりそれを意識しなくなってきたのだろう、とも思った。「橋のない川」の中にあるような苦しく悔しく辛い生活やそれを乗り越える勇気、といった強い感情が、文中に感じられなかったからだ。

けれど、だんだんに何か重苦しい気持ちが表れて、それは筆者の兄を訪ねる旅で明白となった。結局、筆者もまた路地出身であるということが、人と会い、取材することへのある種のハードルを下げ、隠したいことを掘り起こしてしまう罪悪感が軽減されていたのかもしれない、と思った。自分もまた同じ立場である、という立ち位置が可能にさせた取材。しかし、それは、生まれと育ちがおそらく大いに影響したであろう兄の現状・・・犯罪に走り、刑期を終えた後も、借金を踏み倒して逃亡した兄への筆者の思いの前には効力を失ったのか。

日頃は、路地出身であることを重荷とせずに生きている筆者も、兄を、「どこかで曲がりそこねた自分」として認識するところで、それまで持たずに済んでいた、あるいはないふりをしていられた罪悪感に絡め取られてしまう。そういう事なのではないか、と思った。

もしかしたら、見当違いなのかもしれないとけれど、過干渉、抑圧的支配的な両親からうまいこと逃げ出して、自由な生活を手に入れた私が、五十を超えて今もなお、そのくびきにつながれて生きにくさを感じ続けているらしい姉に感じる重い感覚と似たものがあるのかもしれない、と密かに思ったりもした。

しかし、結婚差別を受けたと話すこの鉢屋の末裔である老人を、私はことさら気の毒な人だという風に見ることができなかった。どんな生活であっても、その人のもっているものによって後々の生活が決められていくのではないだろうか。どのような生き方を選ぶのかは、結局は本人次第なのではないだろうか。

生まれた環境は選べないのだから、それを嘆くよりも、これからどう生きていくのかが最も重要なことになるのではないだろうか。自らの不幸の原因を差別や貧困、障害、家庭事情に求めることもできるだろう。しかし自分がどのような知識を得るのか、そして誰に出会い、選択し決断していくのか。人それぞれに違うもので、そこに生い立ちが関係していたとしても、選択は自分にある。結果的にその選択や方針が良いことだったのか、悪いことだったのか、それを判断するには時間もかかるだろうし、結局は答えのでないことなのかもしれない。ただ、どのような地域や社会的階層の生まれであっても、その人の可能性を信じるしかないのではないか。

(引用はすべて「日本の路地を旅する」より)

この記述は、私が何度も何度もぐるぐる、ぐるぐると頭の中で考え続けてきたことに似ている、と思った。

2011/2/1