日本霊異記 今昔物語 宇治拾遺物語 発心集

日本霊異記 今昔物語 宇治拾遺物語 発心集

2021年7月24日

55 伊藤比呂美 福永武彦 町田康  河出書房新社

夫がぐふぐふと面白そうに読んでいたのを回してくれた。そもそもなんでこれを読むことにしたのか、とインタビューしたのだが、覚えておらん。なんだか伊藤比呂美がどこぞで町田康の翻訳が面白いとか書いていたような記憶はなくもないが、と。

日本霊異記も、今昔物語も、宇治拾遺物語も、発心集も、古典の説話集である。それを、それぞれに今をときめく作家さん達が翻訳している。どれも面白いが、中でも町田康の翻訳が自由すぎて笑える。例えば、最初の「道命が和泉式部の家で経を読んだら五条の道祖神が聴きに来た」の導入部分。

これはけっこう前のことだが、道命というお坊さんがいた。藤原道綱という高位の貴族の息子で、業界で良いポジションについていた。そのうえ、声がよく、この人が経を読むと、実にありがたく素晴らしい感じで響いた。というと、ああそうなの。よかったじゃん、やったじゃん。程度に思うかも知れないが、そんなものではなかった。じゃあどんなものかというと、それは神韻縹渺というのだろうか、もう口では言えないくらいに素晴らしく、それを聴いた人間は、この世にいながら極楽浄土にいるような心持ちになり、恍惚としてエクスタシーにいたるご婦人も少なくなかった。
       (引用は 「宇治拾遺物語」町田康 訳 河出書房新社 より)

てなもんである。「こぶとりじいさん」の原典なんかも含まれているのだが、その自由っぷりたるや、素晴らしい。で、説話を聞き伝えた当時の人は、その時代の口語で話を聞いていたのだろうから、ニュアンスとしてはこれで正しんだろうな、と思ったりするのである。

この四つの説話集は、もちろん初めて聞くエピソードもあるにはあるのだが、どれもなんとなく懐かしく、耳覚えがあるような、どこぞで読んだことがあるような気がするものが多い。いわゆる昔話の元になっているからだろう。と、同時に、子供時代にはとても聞けなかった、というか、聞いてもわからなかったであろう下世話な下ネタも満載なのである。日本人も、昔から結構スケベだったのである。まあ、性は人間の基本だからなあ。

高3の娘は、受験勉強にあたって、古典に苦しんでいる。私は古典に苦労した覚えがないがなあ。古典指導にやたらと力を入れた高校を出ているので、ビシバシ叩きこまれたこともあるけれど、ちょっと思い出してみると、子ども時代に古典の児童向け抄訳本なんかがあって、結構読んでいた気がする。古典の試験に出る原典なんて限られた数だから、大体の物語を読んだことがあれば、なんとなくストーリーは頭に入っちゃってるし、古いとはいえ日本語だから、わかっちゃんたんだろうな、とも思う。であるなら、娘にもこの一冊を読ませれば、結構な実力はつきそう・・・と思うが、かなりのハードさ加減の下ネタ満載には、躊躇するものがある。と言いつつ、勧めては見たけれど、ちょっと見、難しそうな作りなので手が出ないみたいだ。いいんだか、悪いんだか。

もし、古典の成績が伸び悩んでいる高校生諸君がこのブログをお読みであったら、夏休みの読書の一冊として、この本をおすすめする。点数がアップするかもよ。責任はとらんが。
2016/7/9