昭和を語る 鶴見俊輔座談

昭和を語る 鶴見俊輔座談

34 晶文社

鶴見俊輔を読むのは「敗北力」以来だろうか。私はこの哲学者を信頼している。だが、いまさら昭和について語った対談なぞを読んでどれだけ意味があるのだろうかという疑問もあった。だってこの本に収録された座談のもっとも古くは1960年代のものであり、もっとも新しくとも1992年のものである。いくらなんでも古すぎるだろうと話半分に読み始めたのだが、その内容は驚くほど刺激的で興味深いものであった。対談相手は

都留重人 古関彰市 河合隼雄 富岡多恵子 粉川哲夫 福嶋行雄
マーク・ノーネス 羽仁五郎 開高健 司馬遼太郎 吉田満 粕谷一希

である。もはや多くの方が鬼籍に入っている。読み返すと、彼らはなんと深く真摯に物事を考えていたのかと心打たれる。こんな自分との向き合い方を、私たちは久しく忘れてしまっているのではないか。

印象的なことをいくつか書く。富岡多恵子は、終戦時に「強姦」という言葉を知ったという。父親が、まだ幼かった富岡多恵子に、占領軍から強姦されるかもしれない、と言ったのだ。彼女はそれが何を意味するか分からないが、何かとてつもなく恐ろしいことである、と緊迫した父の様子から察したという。なぜ父親はそんな心配をしたかというと、自分たちが中国で散々そうしてきたからだ、と富岡多恵子はいう。おれたちもやった、だからこういう状況では必ずそうなる、と。そうした実際に起きたことを私たちの国は幻のように無かったことにしようとしている、と二人は話す。

それから、羽仁五郎の話である。羽仁五郎は思想犯として投獄されていた。八月十五日を彼は牢獄の中で迎えている。「ぼくは、八月十五日に友達がぼくの入れられていた牢屋の扉を開けて、ぼくを出してくれるんだと思って、一日待ってたよ。」と彼は言う。だが、彼は九月過ぎ、占領軍が来てから釈放された。あの日、誰も助けに来てくれなかったことを羽仁五郎は一生忘れないという。八月十五日が戦後のすべてであり、すべてがそこで決定された。後は、次の八月十五日がいつ来るかだ、と彼は言う。

鶴見俊輔は、その言葉に率直に動揺する。終戦当時、無気力感にさいなまれていた彼は何も動くことができなかった。それが自分の「転向」経験であるという。だからこそ、彼は、戦後、戦争協力していた人々が手のひらを返したように民主勢力になだれ込み、正論を訴える姿を信用せず「転向」研究に身をささげていく。その出発点がそこなのだ。

鶴見は単純な革新でもなければ左翼でもなかった。彼は、戦中と戦後で発言や態度を一変させる人間を嫌悪し、変わらぬ岩床を持つ人間に敬意を見せた。それが保守であれ、新興宗教家であれ、一介の市民であれ、時代におもねらず、変えることのできない価値を持ち続ける人間に信頼を寄せた。「自分の古さを自覚し、岩床を探ろうとする」人間こそ真の保守主義者であるとして敬意を表した。

利口であることに、何の価値があるのか。そんなものに頼って生きてどうするのか。大切なものは「態度」であり「人柄」である。表層的な思想やイデオロギーを超えた「生き方」にこそ価値はあり、その認識にこそ日本の伝統がある、と彼は言った。エリートの「一番病」に厳しい目を向けた鶴見の哲学である。

時代がどんなに変わろうと、鶴見の哲学は古くはならない。時代に迎合するこざかしさよりも、自分の持つ正しさを見すえて変わらぬ価値を守り抜く生き方のほうがはるかに美しく価値あるものだ、と私も思う。鶴見俊輔は自らの転向と向き合い続けながら、静かに正しく生き抜いた人であった。