実母と義母

実母と義母

28 村井理子 集英社

「ゼロからトースターを作ってみた」の翻訳者がこの本の著者なんだって。翻訳だけじゃなくて、作家でもあったのか。

この本は、かなり癖のある家族の中で生まれた著者が、やっぱり非常に癖の強い家族を持つ夫と結婚して、自分の家族や義父、義母などと格闘するかのように生きてきた経験が描かれている。実家の両親も兄も亡くなり、義父母は衰え、とりわけ義母は進行著しい認知症となっている。最終章ではその義母の介護が大きなテーマとなっている。

しかし、かなりすごい家族関係である。勝手気ままで深酒をし、浮気性の父親、躁鬱の祖母、おとなしいけれど常に誰かと共依存関係をもち続け、父同様アルコールに溺れる母、訳の分からない兄。夫側はあらゆることを自分の価値観に巻き込み、自分だけが正しいと思っている母と、何も言わない父、母の言うことは全部スルーすることで生きてきた夫。無茶苦茶である。

まだ恋人であった夫と、半同棲のような形で仲良く暮らしていたら、世間体が悪いからとにかく結婚しろと乗り込んできた義父母。仕方ないので義実家に挨拶に行ったら、お茶会に出席中だと留守の義母、そしてその留守中に、義母の持つお稽古ごとの教室を継ぐ気はあるのかと確かめたがる義父。まったく、これぽっちもそんな気持ちはないと言っていると義母が帰宅し、「お稽古ごとの教室を継ぐのが結婚の条件です」と宣言する。結婚しろとうるさかったのは、そっちじゃなかったのかい?

無理矢理呉服店に連れて行って何着もの和服をあつらえたり、結婚式についてあらゆる決め事を結局すべて自分の思い通りに決定し、色が黒い、料理が下手だと面と向かってののしる義母。一方、実母は明らかにどうしようもない兄の経済的な尻ぬぐいをすることに必死で、作者に興味はない。実父は作者を猫かわいがりはするが、大事なことは何一つ話さないし、そもそもめったに家にいない。父の死後、実母は新しい恋人に入れ込み、何百万円もを彼につぎ込む。癌になった母を置いて全力で東北に逃げて行った兄、そんな母を許せずに、ろくに看病もしなかった作者。

そして今や義父は脳梗塞で倒れて衰え、義母は認知症で記憶が定かでなく、夫やわが子の顔も時として分からなくなり、家事もできなくなりつつある。作者は義実家に通っては、ヘルパーさんやデイサービスや訪問看護師と連携して、そんな彼らの世話をする毎日である。その中で、実母がどんな気持ちだったのか、理解し後悔し、義母がどんな風に物事を感じているのかを徐々に受け入れ、自分にできることをしようという思いに至っている。

うーむ。私の育った家庭も十分に機能不全であったと思うし、実はこの作者の気持ちは結構よくわかってしまうところがある。私の場合、もう亡くなってしまった義父母はかなりまともな人たちであったので、そこは全然違うが。毎晩、寝る前に子ども時代のあれこれを思い出しては、あの時母はこう思っていたのではないか、自分はこうすればよかったのではないかと考えてしまうというのは、本当によくわかる。私も毎月母の所へ介護のために泊りがけで行っては、滞在中、いろんなことを思い、気づき、子ども時代のおさらいをすることになるからだ。あの頃あったことの種明かしやネタ晴らしなどが次々行われ、時に眠れないこともあるほどだ。

それでも、作者は今は優しい気持ちで義父母に向かい合っている。えらいなあ、と素直に思う。実の親であってもなお、介護は重いし、面倒だ。うんざりすることだってたくさんある。それでも親だから、向き合おうと覚悟するしかない。でも、作者は…。いったい、作者の夫は何をしてるんだ?と思う。癖の強い義母の言うことをすべて無視していい、気にしなければいい、スルーしろと言っていたこの夫は、作者が介護に尽力していることにどう思っているのか、自分は何をしているのか。この本にはそれが全然書かれていないのでわからないのだ。わからないということは、何もしていないんじゃないのかい?

老人介護を嫁の仕事にするのはもうやめてくれ、と思う。それはもう、心から思う。実親ですらこんなに大変なのだ、ましてや義理の関係で、いったいどうしろと言うのだ、と思う。ちゃんと向き合って頑張ってるこの作者は本当に立派だとは思うけれどさ。

老いは、他人事ではない。自分にも、もう、すぐそこまで来ている問題だ。いや、もう渦中にいるのかもしれない。だって、私も夫もどんどん疲れやすくなり、忘れっぽくなり、失敗が増えているからね。認知症も、すぐそこだ。これからこの世はどうなるのだろう。私たちのような老人を、誰がどのように介護していくのかなあ。なんて、他人事のように言ってる場合じゃないんだけどね、まったく。