村上さんのところ

2021年7月24日

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「村上さんのところ」答えるひと 村上春樹 新潮社

 

私は村上春樹の良い読者ではない。この本でいうところの「村上主義者」ではないのだ。でも、彼の書くエッセイは大好きだ。しっかりとこの世を見据えて、自分自身の目で捉えて、それを誠実に表現しているのがひしひしと伝わるから。
 
この本は、村上春樹期間限定で読者とやり取りしたメールの記録だ。驚くほど多岐にわたる質問相談が寄せられ、それらに対し、村上さんは実に誠実に、そしてユーモアを忘れずに丁寧に答えている。読んでいてほとんど心を打たれるほどだ。
 
一見くだらないような質問に対する深い答にも感心するし、原発やオウム、イスラエル問題などの社会的な問題に対しても自らの姿勢を明らかにして決して譲らない。それでいて、奥さんを始めとして女性に対してはものすごく低姿勢だし、本質的に争いを好まないのもよくわかる。食べ物と音楽が大好きで、人の悲しみにはできるかぎり寄り添いたいと思っているのも伝わる。年の若い読者やお年寄りにはとても親切で温かい。
 
印象に残ったことを幾つか。
女性は理由があるから怒るのではなく、怒りたいから怒っているのだ。それに対して男性は、嵐か竜巻か雷に出会ったと思うこと、そしてひたすら誠心誠意、謝りつづけることを薦めている。その回答は一回にはとどまっていない。いったい村上さんの奥さんてどんなひとなんだろう、とちょっと思ってしまう。村上さんは年若くして結婚し、長く同じ人と付き合うのが好き、と明言し、結婚相手はこの人といると退屈しないと確信できる人がいいというのだけれど。
 
それから、村上さんが子供時代、阪急今津線の小林までピアノのレッスンに通っていたというのはちょっと嬉しかった。そこは、私が関西在住時代に足繁く通った、小さいけれど品揃えと司書さんの質が高い立派な図書館があった場所だ。たしか有川浩さんもそこをご愛用のはず。ついでに言うと、須賀敦子さんも中島らもの奥さんも小林ゆかりの方々なのだけど、話がちょっと横にそれちゃったかな。
 
猫に対する愛情は実に深いけれど、猫を飼ったことはないのね。それから、村上さんはテレビもあんまり見ないし、ネット情報からも距離をとっているので、日本にいても、あんまり強烈な情報には晒されていないようで、それは彼のような小説家には正しく賢い生き方なのだと思う。ノーベル賞についても極めて客観的に捉えていらっしゃるのが改めてわかった。
 
なんかいい本だな、村上春樹っていい人だな、とつくづく思えた。私が彼の小説の良い読者ではないのは、私が物語体質ではないからかもしれない。

2015/9/15