一投に賭ける

一投に賭ける

2021年7月24日

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一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート」

上原善広 角川書店

私はスポーツ音痴である。野球もサッカーも相撲も見ない。オリンピックすらろくに見ない。それから、マッチョが苦手である。男らしさを至上価値とする人間とは全く気が合わないし、脳みそまで筋肉に覆われているようなタイプとは親しくなれない。

この本の主人公は、およそ私の苦手なものをすべて集めてギュッとしたような人である。たぶん、友達にはなれないし、向こうも私が嫌いだろう。が、それはそれとして、一つのことに全身全霊を傾ける人間のあり方というものが、興味深くはあった。最後まで一気に読んでしまった。

やり投げで世界記録に肉薄し、ワールドグランプリシリーズを日本人で初めて転戦し、実力体力の絶頂期の直後、突然殆どの試合に出なくなり、程なく引退して農業に専念するに至ったアスリート、溝口和洋。「被差別の食卓」の上原善広が18年間をかけて聞き取りをして書き上げたノンフィクションである。

やり投げだけのために生きると決めてから引退まで、それ以外のことはどうでもいいと考えていたという溝口。トレーニングの方法から、体の動かし方から、独自の理論構成が凄まじい。誰が何を行っても聞く耳を持たなかっただろうことはよくわかる。

面白いのは、ちょくちょく色んな所に矛盾が散見されることだが、本人はそんなことは意に介していない。アスリートなのに、酒もタバコもやる、と非難されると「体に一番悪いのはやり投げだ。体に悪いのが嫌ならやり投げをやめるのが一番いい」と答える。たしかに、それは正しい。

全身全霊を捧げると言っておきながら、一度良い記録が出てしまうとその後一気にやる気が失せてしまうとか、予選を甘く見て失敗したとか、意外にメンタルが弱いのも、かわいらしい。女はプロしか相手にしない、心など誰にも許さないと言いながら、引退後はすぐに教え子と結婚しちゃったりするし、どうなの、それって、と思うが、そういうところが人間らしいとも言える。自己矛盾なんていちいち気にしてられっか、ということだろうか。

日本の陸連のいい加減さに頭にきていたようだが、今もあんな感じなのかなあ。スポーツ界って結果が全てだし、強いものだけが正しい世界だから、なんともやりきれないことはたくさんあるのだろう。

オリンピックなんてやらなければいいのに、と私は思う。スポーツだって美しいばかりじゃない、どろどろしたものがいっぱい詰まっているじゃないの、と思う。今からでも東京オリンピックをやめてくれていいんだよ。と、久米宏がラジオで言ってたっけ。私も、賛成だ。

2017/7/26