桜ほうさら

桜ほうさら

2021年7月24日

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「桜ほうさら」 宮部みゆき PHP研究所

引っ越す前の居住地の図書館で予約を入れたら400番だとかとんでもない順位で、その数字が徐々に減りつつある中で転居し、こちらでまた予約を入れたら再度すごい順位になってしまい、結局業を煮やして夫が買ってしまった本。

宮部みゆきの時代物が好きだ。逆に言うと現代物はなんだか心が冷え冷えとしてしまうことも多くて手が出しにくい。なぜだか時代物だと暖かい感じがするのは現実感が薄れるからなのだろうか。それとも、別に理由があるのだろうか。

主人公が魅力的だ。臆病そうに見えるほど穏やかで、人の気持ちを推し量る。そのくせ変に不器用で、朴念仁。こういう男、好きだぜ、と思う。最初に説明された主人公の背景がその後ののんきな生活とあんまり関わりがないので、このままどんどん頁が進んじゃって、どうするの、ちゃんと解決するの、と不安になったのだが、最後の最後、残り僅かでちゃんと帳尻が合わせられる。なるほどね。

私はこれを読んでいて途中から湊かなえを思い出した。登場人物に「かなえ」という名前の人が出てきたせいもあるのかもしれない。文中、押込御免郎という男が書く物語が湊かなえの書くものと重なって見えたのだ。と書くと、湊かなえファンには嫌われるかな。でも、そう思っちゃったのだ、私は。

悪党どもに利用され、謀られ、抗おうとしても空しく、かえって傷口を広げるだけの無力な若侍の無念を、その達筆が冷酷に弄んでいるかのように思えた。
どれほど人としての正道を歩もうと志そうと、所詮力無き者は滅ぶしかないのだ。世を統べるのは力であって善ではない。忠義でもない。誠意でもない。声高にそう言い募るように、ほれぼれとする手跡で綴られる無残な物語の向こうには、押込御免郎の酒やけした顔が覗いている。(中略)

押込御免郎はただ一途に、人はみんな目先のことしか考えられず、この世にいるのは莫迦ばかりだと書いている。善人ばかりか、悪党まで愚かだ。たった一人、書き手である彼自身を除いては。
どこまで深く傷つけられ、誇りを失い、優しさや思いやりを削ぎ取られたら、こんなに世を憎み、人を見下げることができるのだろう。

「桜ほうさら」は親と子の物語だ。母に過剰に期待をかけられる子、捨てられた子。愛をかけても伝わらず、誤解し合ったままの親子。さまざまな親子関係の形と、それが変わっていく姿が大切に描かれている。エンディングも、その一つの形だ。悪とみなされ、莫迦としか言い様のない存在にも、僅かな救いが残される。愛が与えられる。こういう姿勢こそが宮部みゆきなのだ、と私は思う。

(引用は「桜ほうさら」宮部みゆき より)

2013/7/11