武満徹・音楽創造への旅

武満徹・音楽創造への旅

2021年7月24日

44

「武満徹・音楽創造への旅」立花隆 文藝春秋

 

ある時、夫が突然、妙に辛気臭い音楽をかけて聞き始めた。食事中に流されるとなんだか気分が滅入ると文句を言ってしまった。娘も同意見であった。それが武満徹の代表曲「ノヴェンバー・ステップス」であった。なんでこんな曲を?とその時は不思議であった。
 
彼はこの本を読だのだ、と後からわかった。音楽を活字で表現するのはどうやっても無理というもので、やっぱり本物を聞かないとわからない。しかも、現代音楽となると、曲そのものを聞いても更にわからなくなったりもする。私は音楽的センスがゼロに等しいので、この曲の良さがわからないままだった。
 
ただ、この本を読んだら、やっぱり聞いてみたいとは思った。とともに、聞いてもわからない自分の音楽の才能のなさにがっかりもした。
 
たぶん、武満徹は天才なのだと思う。舞台に演奏者が一定時間滞在した後に退場するだけの「4分33秒」を作曲したジョン・ケージを素晴らしいと思うか、おもろいこと考えはったおじさんやな、程度に受け止めるかどっちかというと私は後者だが、それでは芸術の本質には近づけないのだろう。そのジョン・ケージとも尊敬しあった武満徹は、こんなに真摯に音楽という芸術に向き合った人だったのだ、ということは読んでいて確かに胸打たれる。だが、残した曲を聞いてもさっぱりわからないのは如何ともしがたいのである。
 
武満は、ピアノを持っていなかった。音楽教育も受けていなかった。街を歩いていてピアノの音がすると、その家に行ってお願いして弾かせてもらったという。大抵の人は嫌がらずに弾かせてくれたというからすごい。そういう時代だったのかもしれないし、彼の情熱や才能が、体中から溢れていて誰も断る気にならなかったのかもしれない。
 
武満は尺八や琴などをオーケストラに参加させた。拍や音階を学ばない、純粋な古典音楽奏者の音が最善であった。西洋音楽の素養を持った尺八奏者を使うと、どこかしっくりしなかったという。
 
青森で津軽三味線の演奏を何度も聞いたが、音の流れや高低が、西洋音楽の音階とはまた違ったところにあると感じた。音が上がっていくときと下がっていくときとで、微妙に音階にずれが生じる・・・というか、違う音になっていくように聞こえた。何拍という数え方もなく流れていく音が心地よかった。音符なしに口伝、口承で伝えられた音楽。それは、西洋音楽とは違うナニモノかであるように思えた。
 
人類が別々の文化を持ち、別々の歴史を持って発達していったのだとしても、世界中、どこへ行っても音楽はあって、人の心を映し出し、和らげ、温めてきた。武満徹という人は、そういう根源的な音楽の力を本能的に身体の中に持っていて、決められた枠ではないところで表現する人だったのかもしれない。
 
立花隆は、20年以上も前に武満徹へのロングインタビューを行っていたのだが、彼の突然の死によって頓挫した。以来、それを本にまとめる意欲が出ないまま放置していた。今回、これが本にまとめられた背景には、立花隆のガンの罹患、そして、ガン闘病の仲間であった、とある女性の死が関わっている。彼女のために一気に書き上げられたこの本からは、立花隆の情熱が立ち上ってくる。あとがきに、胸打たれてしまった。
 
ところで、この本を私は電子書籍で読んた。紙の本だとあまりにも重く、通勤途上で読むと腱鞘炎になりそうだと夫が電子書籍を購入した。私は老親の介護のため度々実家に通う。お供の本が一冊だと途中で読み切ってしまう場合がある。そんなときにiPadでこれを読んだ。いわば、本不足に瀕した万が一の備えとして機能した本であった。だから、読み切るのにとても長い時間がかかった。結局、音楽のことをどれだけ理解できたかは実に心もとないが、ひとりの偉大な人間の生涯を見せてもらったという読後感だけは残っている。

2017/6/12