残花亭日暦

残花亭日暦

2021年7月24日

田辺聖子さんの夫君が入院してから、亡くなるまでの時期の日記。
田辺さんが、中年になってから、四人の子どものいるカモカのおっちゃんと結婚した経緯は、ドラマにもなったし、私も知っていた。
でも、この夫婦が、こんなにも確かな絆で、最期までしっかり結ばれていたとは知らなかった。
一気に読んで、なんだかひどく胸を打たれて、感動するってこういう事なんだろうな、と思った。

笑い顔が一番好きなおっちゃんと、愚痴をこぼさず、いつも笑いながら、年老いたお母さんと、体の不自由なおっちゃんの世話をしながら、バリバリ仕事もこなしている田辺さん。
田辺さんも偉いけれど、田辺さんを、ここまで支えたおっちゃんも、偉い!
愛情って、こういう事をいうんだ、と思った。
こんな、凄い夫婦になってみたい、と思った。

人は死ぬと、魂は十万億土の彼方へ飛んでいくが、そこに深い洞窟がある。死者はみな、その深い昏い洞窟のなかにとどめられ、やがて時期がくれば、光明浄土へ放たれる。死者はみな一人ずつである。現世の縁もつながりも消滅する。しかし何万人か何十万人かに一人は、ことさら縁の深かった者の魂がくるのをそこで待っていることもある。・・・・・待ちぼうけ、ということは絶対、ない。
何となれば人は必ず死に、死ねば必ず、その奥深い洞窟へ放たれるのだから。(中略)
私は、といえば、あの淋しがりやの彼が、独りで昏い洞窟で私を待っているのかと思うと、涙が出てきた。
かわいそう。
そしてふと思った。〈かわいそう〉と思ってくれる人間を持っているのが、人間の幸福だって。〈愛してる〉より、〈かわいそう〉のほうが、人間の感情の中で、いちばん巨きく、重く、貴重だ。
そしてまた、思った。この間からの、骸骨みたいになった彼、うつらうつらしてもう会話もかなわなくなった彼を見ていて、もしこのまま逝っちゃうのなら、もっと話をしてくれればいいのに、と思ったけれど、ちょっと前、まだモノがいえた頃、彼はいったではないか。
〈あんたかわいそうや〉
〈ワシはあんたの味方や。それ、いいとうて。〉
―彼も、かわいそうや、といってくれたんだ。

(「残花亭日暦」田辺聖子 より引用)

私も,きっと洞窟で夫を待ってるだろうと思う。
でも、待ってるのは寂しいだろうな。
どっちが先に待ってたらいいだろう。
先に逝かれたら、洞窟は短くて済むけど、夫は独りでも割と平気な人だから、私を待たずにさっさと放たれて行ってしまうかも。
なんて、あれこれ考えてしまった。
この間、逝ってしまった私の友人は、どうしているのだろう。
エネルギッシュな人だったから、新しい世界でも、やることがありすぎて、待っているどころではないのかしら。
ワクワクと、いろいろなところを飛び回っているのかも。

なんだか、考えすぎて、心の中が、ぱかーんと開ききってしまって、すうすうするような、そんな読後感。

田辺さんは、素晴らしい、得難い女性です。
そういう人に、私もなりたい。

2010/2/1