琵琶湖 その2

琵琶湖 その2

2021年7月24日

さて、到着です。陸に上がると、おみやげ屋さんが何軒かあって、拝観受付があります。拝観料を払って、中へ入ると、すぐに急な階段。途中に特別展示があるらしき護摩堂がありますが、まずは石段を上がって本堂へ向かいます。本堂にお参りしてから、三重塔へ向かいます。ここには、片桐単元が植えたというモチの木があります。これが、とても立派な姿の良い木なのです。

そこから、大阪城から移築されたという唐門へ回ります。豊臣秀吉や、加藤清正や、徳川家康など、並み居る武将たちがこの門をくぐったはずです。色は褪せてしまっていますが、きらびやかな彫刻が施されていて、当時はどんなに絢爛豪華な門だっただろうと想像してしまいます。

そこから今度は舟廊下をわたって、都久夫須麻神社へ。舟廊下は、長い柱に支えられた高い廊下。高所恐怖症の私は、外側を想像するとちょっと膝が笑うような廊下です。

そうそう、そこへ至るまでに、一匹の蛇に会いました。蛇はここの神社のご神体です。おお、ご降臨か!!龍神様に出会えて、なんと縁起がいいこと。蛇は、見ている間、ずっとじっとしていました。

龍神拝所で土器を二枚ずつ購入します。一枚には名前を、一枚には願い事を書いて、鳥居の間めがけて投げるのです。見事、通り抜けたら、願い事は叶うんですって。ああ、だけど、私は実は五十肩を病んでいる最中です。全然力が入らなくて、見当違いの方向に・・・。夫の投げた土器は鳥居にぶつかってしまいました。

そこから、最初に通りすぎた護摩堂へ戻ります。そこで展示品を見ていたら、「説明しましょうか」とガイドのおじさんが寄ってこられました。

平経正が木曾義仲征伐に行く途中、竹生島によって琵琶を演奏したそうです。これが、その時使ったバチね、と展示品を示します。つげの木でできてるんですって。そうか。当時は、象牙なんてなかったのね。

大きな弁天像が飾られています。昔は蓮華会と呼ばれる雨乞いのお祭りで、氏子が交代で、毎年、新しい弁天象を作っては、竹生島に運んだそうです。だから、おびただしい数の弁天像が作られたのだけれど、火災で何度も焼失してしまったんだとか。ちなみに、火災の原因は、ほとんどが雷だったんですって。そうか。何もない平らな湖に、大きな島があったら、そこめがけて雷も落ちるわよねえ、と納得です。氏子がくじ引きで弁天象を作るのは、経済的にも大変なので、浅井家があるときからそれを一手に引き受けるようになって、この像はその時のものです、とのこと。浅井長政は、若すぎて、弁天像を作る役はもらえなかったんですって。

今も蓮華会は続いているけれど、毎年、新しい象を作るわけではなく、何体か残されている弁天様の中から、その年のものを選んで納めるとのことでした。やっぱり地元の方の説明を聞くと詳しいことがわかって興味深いです。ガイドさん、ありがとう。

舟の出発まで少し時間があったのでおみやげ屋さんで少しおでんをたべました。そうしたら、おつまみに、稚アユと川海老の佃煮を出してくれました。おみやげ屋さんの話によると、今、全国の鮎は、全部、琵琶湖の稚鮎を放流したものなんだそうです。琵琶湖では大きくなれないので、小さい内に、全国に出荷するんですって。昔は、氷を持って、大きな箱に入れて、温度計で水温を測って、あったまると氷を入れて、苦労して運んだものだ、なんて話してくれました。鮎は、自力では産卵できないので、砂を飲んで、砂の力で産卵して、死んでしまうんだそうです。砂を飲む前に捕るために、漁をする期日が決まってるんですって。

なんてお話を聞いていたら、出港の時間です。お礼を言って、慌てて船着場へ向かいました。

2012/5/16