砲丸投げで思い出す

オリンピックの女子砲丸投げを、「凄く怖い顔で投げるんだなあ」なんて考えながら、ぼーっと見ていたら、突然、30年も前のことを思い出しました。

中学時代、同じクラスに、文武両道とでも言うのでしょうか、成績も良いし、スポーツも万能の女の子がいました。走っても、跳んでも、一番。いつも一番が当たり前、と誰もが思うような存在でした。

だのに、体育で砲丸投げをやったら、今まで誰にもかえりみられていなかったおとなしい子が、いきなりすごい記録を出したのです。そして、今まで一番が当たり前だった子は、凡庸な記録しか出せませんでした。

砲丸投げのテストの日、いつも一番だった子は、手に包帯を巻いて登校しました。車のドアにぶつけてしまって、と彼女は言いました。だから、良い記録は出せそうにないわ。
案の定、おとなしかった子が、一番遠くまで投げ、一番だった子は、目立たない距離でした。

その日の放課後、おとなしかった子の陸上用シューズが無くなりました。みんなで探しながら、本当は誰が隠したのか、私は知ってる、と思いました。みんな、同じ事を思っていたのだと思います。詳しいいきさつは忘れましたが、数日後に陸上シューズは見つかり、そして誰も口にはしなかったけれど、いつも一番だった子は、なんとなく居心地が悪そうでした。

その子のお母さんは、厳しい人でした。「あなたは○○高校に入るんだから、といつも言われてる」とその子は言っていました。絵に描いたような教育ママ、と今、振り返って思います。あまりにステレオタイプで、むしろ笑っちゃう、今なら。

でも、その当時、彼女は真剣に母の期待に答えようとしていたし、周囲もそれを知っていました。彼女は何でも一番で無いといけないと自分で思いこんでたんだと思います。それが、思わぬ展開ではばまれて、自分でもどうしたらいいか、わからなかったんじゃないかしら。

彼女が、そこはかとなく冷たい目で見られるようになっていた時、私は、すごく彼女が近い存在に感じられました。私は成績のことでは無く、別のことで、親の期待通りには生きられない子でした。どんなに願われても、期待されても、それに答えることが出来ない自分と折り合いをつけて行くのって、大変です。彼女のやってしまったことで、私は彼女の苦しさを感じました。そして、わかるよ、って思ったのです。その時は、そんな風に、きちんと言葉で理解はしていなかったけれど。何か、とても近いもの、同じものを感じていたのです。

でも、それを彼女に伝えることは出来なかった。まあ、そうでしょうねえ。うまく言えたとはとても思えません。あなたのやったこと、わかるわよ、なんて言って、喜ばれたとも思えないし。

それから受験の季節が来て、彼女はお母さんに言われていたのとは違う高校に進学しました。
「なんだ、○○高校じゃなかったのね」なんてささやきも、耳にしました。元々そんなに親しい間柄じゃなかったし、私は私で、自分としては不本意な高校生活へ突入して行って、そうして、すっかり彼女のことは忘れていました。
オリンピックで、女子砲丸投げを見るまでは。

あれから、30年以上経ちました。
何でも出来て、お母さんの期待にこたえようと必死だった彼女は、どんなおばさんになったでしょうか。あの時のことを、覚えているでしょうか。

今だったら。
いまだったら、通りすがりのおばさんの私は、あの時の彼女に、「いいんだよ、一番じゃなくても」と言ってあげたいような気がします。
でも、もしかしたら、「そんなこともあったねえ」と笑って懐かしがってしまうくらい、図々しいおばさんに、もうなっちゃっているかもしれません。

それなら、それもいいな。
歳を取るって、悪いことばかりじゃありません。

・・・・なんて事を考える。スポーツ音痴の私にも、ちょっと刺激的な、オリンピックなのでありました。

2008/8/17