老後がこわい

2021年7月24日

58          「老後がこわい」 香山リカ 講談社現代新書

「就職がこわい」「結婚がこわい」に続く第三弾として出版されたのだそうだけれど、私はこれしか読んでいない。上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」香山リカ版、という感じかな。

結婚式に招待されることがとんと少なくなったと思ったら、告別式に列席する機会が増え、なんと同年代の友人の訃報にも接するようになってしまった、というところから、話は始まる。シングルでひとり暮らしの女性が急逝した場合、誰が喪主になるのだろう、という、実に現実的で切実な問題。ナンシー関の場合は、青森のお父様が喪主となり、葬儀も青森で行われた。夜行列車で青森に向かいながら、自分の場合はどうなる・・・と本気で考えてしまった、という記述は、実にリアリティがある。

老後、生き延びたとしても、終の棲家はどうする、という問題がある。年寄りのシングル女性は、賃貸契約を断られることが多いんだそうである。だから、みんなマンションを買うのね。知らなかった。グループホームやコレクティブハウスの試みも紹介されるが、その大変さ、煩わしさもまた、明らかになる。だろうなあ。人と関わり合って暮らしていくのって、家族でもなければ、たとえ仲良しの関係でも、なかなかしんどいものだろう、と私は思ってしまう。

高級高齢者マンションなどもレポートされているが、目の玉が飛び出るほどのお金が必要で、香山氏、

「だいじょうぶ。あなたも私も、そこに入るだけの資金はとても用意できないだろう。」

と言っている。いやいや、香山さん、あなた、これだけじゃんじゃん本を出して売れてるんだもの、それくらいのお金、あるでしょう?と、ついつい言ってしまいたくなる、下世話なおばちゃんである。

第四章の「親の死はどう乗り越える」が、私には印象的だった。なぜかというと、

四六歳にもなってこんなことを暴露するのは恥ずかしいとは知っているのだが、私はいま健在である自分の両親の死を受け入れ、乗り越えられるかどうか、甚だ自信がない

という告白があったのである。出来ることなら実家に自分がいる間に自宅が崩落して一緒に死ねたら一番幸せかも、と実は考えてる、なんて書いちゃってある。そればかりではない。評論家の俵萠子氏が六五歳の時、九二歳の母を失ってこう言っているというのだ。

だれのために本を書けばいいのかわからなくなった。いままだ、私はその困惑の中にいる。しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。母の死は、もの書きである私に、最期の”自立”をつきつけているのだろう。

香山氏も、この本の中で驚いているが、私も驚いた。あの、俵萠子である。女性に向かって、権利尊重と自立を訴え続けていた彼女が、おかあさんのためだけに書いていたのに、これからはどうすればいいの?って困惑しちゃったのである。もちろん、気持ちはわかるし、親への愛情には深く共感するものがあるが、しかし、しかしだよ。

母と子のべったりとした関係性が起こす様々な問題について、私は香山氏の著作でも読んだことがあるような気がする。(確かじゃないが。)私の周囲を見ても、何か問題が起きると、すぐに実家に帰り、親に頼り、何でも解決してもらおうとする人が、結構、いる。あらまあ、頼りがいのあるご実家があってお幸せねえ、などとも思うが、同時に、あんたいくつよ、オトナじゃないの、と思うこともまた、あるのである。下世話で、すまん。

老後がこわい、ってのが、そういう問題までも含んでいるのか!!と私は驚く。親たちの介護に、今現在直面し、苦しみながら、なんとか頑張っている友人、知人も私の周囲には何人もいて、そういうご苦労、ご努力には、頭が下がる。そういう人こそ、私は応援したい。しかし、私を守ってくれるお母ちゃんが死んじゃったらどうしよう、って事までもが、問題なのか!!親が年取るって問題は、そっちなのか!?

私は夫の両親を送った経験がある。義父とは、あまり深く関わり合いを持つ前に亡くなってしまったので、それほどでもなかったが、義母が亡くなった後は、想像もしなかった欠乏感を味わった。それも、すぐに、ではない。何年もかけて、じわじわと、義母のいろいろなことが思い出され、そのたびに、後悔や申し訳ない気持ちがしみ出してきて、いつまでもなにか大切なものが欠けているような感覚があるのだ。なるほど、人は、こうしていつまでも、誰かの心に残り続け、時間をかけていなくなっていくものなのだなあ、と思い知らされた。それは、辛いけれど、貴重な経験である。そして、その経験をさせてもらったおかげで、(傲慢な言い方だが)たぶん、私は自分の両親の死も、そりゃ辛いだろうが、乗り越えられるだろうと思うのである。だって、順番だもの。ひとは、いつか死ぬのだもの。

・・・と、どんどん本題から離れるのであるが。
最近、おちびが、生意気にも、自立し始めている。なにか欲しい物があるというので、じゃあ、今度の休日に、どこぞに買いに行こうか、というと、いや、自分で行って買ってくるわ、とか、友達と買い物に行くから、とか答えるのである。母は、振られるのだ。息子にいたっては、ひとり暮らしが快適で快適でならないらしい。もう、親は捨てられてるのね。それが、寂しい!と少々思ってはいたが、この本を読んで、あらまあ、うちの子たち、健全に育って結構なことだわ、と思うことにした。少なくとも、あの子たちは、私たちが死んでも、誰のために頑張ればいいのか分からない、なんてことは言わなくて済みそうである。それは、親としては、大成功だというべきなんだと思う。負け惜しみかもしれないが。

(引用はすべて「老後がこわい」より)

2011/6/19