ふしぎなキリスト教

2021年7月24日

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     「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎×大澤真幸 講談社現代新書

私はクリスチャンホームで育った。旧約聖書も新約聖書もひと通り読んでいる。幼い頃から教会学校にも通った。私が、キリスト教の教えに対し疑問を持って親に尋ねると「そんなことを聞いてはいけない」「神を疑ってはいけない」という答えが返ってきたものだ。神は完全で、間違いがなく、人は不完全で間違いやすい存在なのだ。けれど、私にはどうしても疑問に思うこと、不思議に思うことが多すぎた。疑うこと、疑問を持つことそれ自体が罪なのだとしたら、私は罪深い存在でしかない。私はダメな子なのだ。そんなの嫌だ、と強く思ったことを、私ははっきりと覚えている。私はだんだんに、キリスト教から離れていくしかなかった。

この本には、私が感じたような疑問、聖書に対する突っ込みどころが極めて率直に書かれている。そして、それに対する回答が、歴史的な考察を元に明白に書かれている。だからこの本は私にとっては極めて刺激的で興味深い内容だった。けれど、きっとクリスチャンが読んだら烈火のごとく怒るだろうなあ、と同時に思った。この本を、私の父や姉が読むところを想像しただけで、空恐ろしくなる私である。

「聖お兄さん」という漫画を読んだ時にも同じ感慨を持ったのだけれど、あちらの方は特に批判を受けている様子はない。いや、私が知らないだけかもしれないが。たぶん、熱心で真面目なクリスチャンはあんな漫画は読まないのだろう。

おそらく日本のクリスチャンはこの本を認めない。アマゾンのレビューによると間違いもたくさんあると指摘されている。だとしても、だ。この本に書かれていることは、歴史的な認識、ひとつの見方としてしっかりした意味を持つと私は想う。聖書を読めば読むほど、こんな疑問はどんどん出てくるのであって、それに対して真正面から答えた本なんて今までなかったんじゃないの?と私は思う。そもそも、疑問を持つことそれ自体を否定されてしまったら、もう、そこから離れるしか無いじゃないさ、と経験者の私は思うのだ。

たくさんの疑問が氷解した。そして、西洋というもののあり方までもが、以前より少しわかったような気さえする。私にとっては、とてもとても面白い本だった。そうだったのか!と目の前が開けたような気さえするのだ。

2013/3/21