無名

無名

2021年7月24日

「無名」沢木耕太郎

沢木氏は好きで、ほとんど読んでいるのだけど、これだけは、読む機会がなく今まで来ていた。たぶん、小説のジャンルに入れられていて、沢木氏と言うとノンフィクション、と思い込んでいる私と出会いがなかったんだろう。

沢木氏の実父が89歳でお亡くなりになった、その前後の事を淡々と書いた小説。この人の文体は、いつも恐ろしいほど静かで、落ち着いている。その文体そのままのようなお人柄のお父上だったようだ。

裕福な家の息子として生まれたけれど、家が没落して、仕事も上手く行かず、最後は定職にもつかずに家で暮らした。けれど、驚くほど教養深く、子どもにも暖かく、静かに穏やかな暮らしだったという。

沢木氏の作品からは、決して驕らず、謙虚で、でも、書くべきだと選び取ったことは躊躇なく書く強さをいつも感じる。それは、このお父様かにはぐくまれたものなのだと思う。

亡くなる直前まで、沢木氏は調べてもどうしても分からないことがあったら、父上に電話して尋ねたそうだ。そして、答えが得られなかったことは、一度もない、と言う。ごく普通の市井の老人が、これだけの教養を抱えながらひっそりと生きている。そういう人が、たくさんいるのだろうと思うことが、私を謙虚にさせてくれた、と沢木氏は告白している。

父上が、思いがけずに入院し、もうすぐ良くなる、もうすぐ退院できると思いながら、ついには絶望的な状態に陥り、それでも家族の必死の願いと努力と、医師の協力を得て、一端帰宅し、小康を得た後、ふっと息を引き取ってしまった。その経過が、淡々と描かれている。そうして、お父上が老後に書き溜めていた俳句を集めて、句集を作り上げるところで、この物語は終わっている。

義母が亡くなったのと、あまりによく状況が似ているので、読みながら苦しかった。何度も帰宅させようとしながら、結局してやれなかったことが悔やまれるし、句を読んでいたのも同じ、亡くなった後に句集を編んだのも、同じ。こんなにあっけなくなくなるとは思わなかったのも・・。

沢木氏が、亡くなった父上に支えられていることが、読者にもありありと分かる本だった。私も、亡くなった義母に支えられている。

私は、誰かを、死んだあとでまで支えることが出来るだろうか。

2007/6/2