資本主義と民主主義の終焉

資本主義と民主主義の終焉

2021年7月24日

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「資本主義と民主主義の終焉 ー平成の政治と経済を読み解く」

水野和夫 山口二郎 祥伝社

お硬い本なので、読むのに時間がかかった。ふう。1989年、平成の始まり方これまでの政治と経済史。平成を6つの時期に分けて分析し、その後にこれからについて予測、提言している。

平成が始まって程なく第一子を産んだ私にとっては、この本を読むことは、まさしく目撃し続けた日々を振り返る作業となった。そうだったなあ、とか、あのときああなったのは、裏にそういう理由があったのか!とか。すぐ読むのを休んでは我が家の歴史を交えて振り返ってしまったりして、いやはや、時間がかかったことと言ったら。

それにしても、日本はどうしてこんなに情けない国になってしまったんだろう、とこの頃つくづくと思っていたのだが、これを読むと流れがわかるね。もう、今更取り返しがつかないけど。コイズミって悪いやつだったなあ、と個人的には思った(笑)。個人的じゃなく「思う」なんてことはないけどさ。

小選挙区制の罪は重い。中選挙区制だと、一つの選挙区に複数の政治家がいて、同じ地域の代表として相互に敬意があったものだが、小選挙区制だと勝つか負けるか、倒すか倒されるかの敵同士になってしまう。たとえ主義主張が違っていたとしても、同じ民主主義を支えるパートナーとして互いに尊重し合い、敬意を払い合う、ということが失われてしまった、のは確かに顕著な傾向だ。内田樹も言っていたけれど、「こんな主張をするやつは日本人じゃない、日本から出ていけ」と暴れる論客に対して「あなたがそれを言う権利も私は守る。言論の自由は守られねばならない」という立場で相対するのは非常に困難だ。けれど、それを決して手放してはいけない、と私も思う。それをやってるから、なかなか勝てないんだけどね。敵をぶっ潰す、という論のほうが威勢がよくて熱狂を集めやすいしね。そこが怖いところだ。ポピュリズムってそういうことだものね。

「民主主義の死に方」(スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット)が引用されているのだが、独裁の兆候として「審判を抱き込む」「対戦相手を欠席させる」「ルールを変える」の三項目があげられている。安倍政権は、法制局長官を変えることで審判を抱き込み、メディアに圧力をかけて政権に批判的な言論人をパージして対戦相手を欠席させ、臨時国会の召集を要求されても無視するなど、ルールを変えている。本当に、極悪だなあ、とつくづく思う。

これからについてはいろいろ書かれているけれど、結局のところはわからない、に尽きてしまう。アメリカ次第ってところもあるしね。ポスト安倍(安倍の引退は出版時点でわかっていなかった)も見えないし、アメリカ大統領線の行方もわからないしね。

これから世の中が良くなることなんてあるのだろうか、と読み終えて絶望してしまった私って。何のため日本を読んだのだろう。はあ・・・。

2020/9/9