跳びはねる思考

跳びはねる思考

2021年7月24日

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「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること」

東田直樹 イースト・プレス

筆者は、人と会話することができない自閉症である。言葉を発することはできるが、会話としてのやりとりは出来ない。ただ、アルファベットを指さす文字盤ポインティングを使っての会話はできる。原稿作成はパソコンで行うが、変換機能が付いていると会話に集中できないので、文字盤を使うのだという。ちなみに、カラオケはできるそうだ。

しゃべることのできない筆者が何を考えているのか、日頃、どんな感じ方をしているのかがここには書かれている。

たとえば筆者は車にひかれそうになったことがある。その場では怖いとか驚くなどの感情も働かず、自分の置かれている状況をもうひとりの自分が別のアングルから眺めている感覚があるという。その瞬間は意外と平然としていて、周囲の大騒ぎを一つの場面として記憶にインプットされるのを待つ。そして、その体験が怖かったという感情ごと思い出の引き出しにしまわれる。、ふとしたはずみで中身が飛び出して、今起こっているみたいに頭の中で再現され、恐怖が現実のものとなって雄叫びを上げることになる。それがフラッシュバックだという。

自閉症の人が、怒られているのに笑っていると注意されるが、それは、怒られている原因がわかったために安心し、嬉しくなってしまうからだったりする。また、起こっている相手の表情がいつもと違うせいで、おかしくてたまらなくなることもある。いつもと違う表情が記憶に強く刻み込まれ、もう一度その顔を見たくなる。その結果また怒られ、しまったと思うが、いったん脳が覚えこんだ娯楽を中止することは難しい。

なるほどそうなのか、と思う反面、ああ、それ、私にも同じものがある、と思う。表面には表さないようにすることがきっと多いのだろうけれど。確かにぞっとするような怖い場面では意外に冷静で、後からぎゃっと叫びたくなることがある。何年も前の恐ろしい体験を、掃除機をかけている最中に思い出して、ワーワー叫びながら掃除したりもする。起こっている相手の顔がおかしくて、笑いそうになることもある。同じだ、同じだ、と読みながら思う。

誤解を恐れずに言ってしまえば、この本に書かれていることは、特別なことではないような気もする。自閉症の人が書いたというよりは、東田直樹という人が書いた本だという気がする。そう思って読んでもいい、と私は思う。

2014/12/25