辞書になった男 ケンボー先生と山田先生

辞書になった男 ケンボー先生と山田先生

2021年7月24日

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「辞書になった男ケンボー先生と山田先生佐々木健一 文藝春秋

「舟を編む」で辞書作りについて学んだつもりであったが、事実は小説より奇なり、とはまさにこのことであった。この本は、「新明解国語辞典」と「三省堂国語辞典」の二つの辞書を作った二人の男の物語である。初めは一緒に一つの辞書を作っていた二人が、いつどんな理由で別の道を歩み、違った辞書を作るようになったのか。互いに、何を思っていたのか。

謎を解く鍵は、辞書の記述の中にある。

【時点】【一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」(『新明解』四版)

【筈】「たしかあなたもそう言ったはずだ[=・・・ように私は記憶している]」『新明解』初版)

【実に】「この良友を失うのは実に自分に取って大なる不幸であるとまで云った」(『新明解』四版)

同じ出版社から異なる辞書を編纂した二人の気持ちが辞書の中から立ち現れる。まるで推理小説のように、謎は読み解かれていく。

決別した二人のどちらが悪いわけでもない。それぞれが求める理想の辞書の姿の違いに、出版社の営業上経営上の思惑も重なって、二人の道は別れ、それぞれに違った個性を持つ辞書が作り上げられていった。

小学生の頃から、私は三省堂国語辞典を愛用していた。新明解は、「新解さんの謎」で注目を集めたが、私はオーソドックスな「三国」が好みであった。つまり、私はケンボー先生派だったのだな、と改めて思った。

この本は、NHKのBプレミアムの特番を書籍化したものだという。番組を見たかったなあ。と、このごろ思うような本ばっかり読んでいる。もっとテレビもちゃんと見たほうがいいんだろうか。

2014/4/28