週末介護

週末介護

2021年7月24日

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「週末介護」岸本葉子 晶文社

 

岸本葉子が、父親が九十歳で亡くなるまでほぼ在宅で介護した話。近所に介護用のマンションを買って父を住まわせ、兄と姉と岸本さんと交代で介護に通ったという。父の記憶力が乏しくなり、足取りがおぼつかなくなったあたりから、徐々に認知力を失い、体の自由も効かなくなって、最後に寝たきりになり、亡くなるまでの経緯が丁寧に描かれている。
 
最初は介護は兄と姉に任せてしまえ・・・と勝手に考えていた作者であるが、せめて住居を担当しようとマンションを購入するところから、どんどん介護に参加することになっていく。この兄姉との助け合い方、関わり合い方は程よい距離感があって摩擦が少なく、非常にうまくいったケースのように思われる。それは一つには介護される父親の暖かく社交力のあるお人柄によるところも多いのかもしれない。人間性って最後まで問われるよなあ、と思わずにはいられない。私、大丈夫か?
 
介護はきれいごとではないので、数々の困ったことも起きてくる。だが、人が生きるということは老いるということであり、それを誰もが受け止め、乗り越えていくしかない。押し付け合うよりは助け合い、嘆くよりは受け止め、楽しみを見つけ、日々を過ごしていくしかない。その人がそこで生きている、ということに価値を感じ、感謝し、ともに生きていこうという意思があるだけで、困難はより乗り越えやすくなる。みなで支えることの大事さを、改めて思う。
 
米寿間近の私の父は、緑内障でほぼ視力を失い、それに伴った種々の問題に日々直面している。この本では、老いた父の助けになるものとして、日記をつけること、絵を描くこと、テレビを眺めること、メモを残すことなどが揚げられているが、視力を失うとそのすべてが不可能となる。正直、読みながら、目が見えていいなあ・・・と思わずにはいられなかった私である。忘れてしまったことも、メモがあれば思い出すよすがとなる。ああ、それだけでも手に入れば・・・と思わずにはいられない。
 
五年間という年月を、父の介護にあてた作者であるが、その日々が縛られた、つらく苦しいものであったとは読み終えてもあまり感じられない。介護をともに分担しあった誰もが、亡くなった父親を懐かしく思い出し、暖かく語り合える「その後」を持てたことに心温まる思いがある。そうありたい、と私も願う。
 
この本にも登場したが、ケアマネージャーやデイサービスのスタッフの方々は、立派な専門家である。困ったことがあれば、あれこれと様々な提案企画をだし、解決策を共に考えてくださる。一人で抱え込まないで、介護福祉に頼ることの重要性を改めて思う。作者たちも、最初は自分たちだけの手で介護をしていたが、後に福祉に頼ることで得られるものが多かったという。私の父も、徐々に専門家に頼ることで、数々の助けを得た。もっと早くに相談しておけば・・・と思うことも多々あった。
 
介護は個人だけで抱え込んではいけない。できるだけ多くの人を巻き込み、手を借りて、みんなで乗り越えるべき問題である。そうすることが、きっと介護される人の幸せにもつながるし、幸せな最後の日々を作り出すことにもなる。
 
年をとるということは、何を見ても何かを思い出すようになるということだ、と書かれていた。本当にそのとおりだ。たくさんの経験をして、沢山の人と触れ合って、どこで何を見ても、何かを思い出す。それが老いるということなら、それも悪いことばかりではない、と私は思いたい。

2016/12/23