閉経記

閉経記

2021年7月24日

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「閉経記」伊藤比呂美 中央公論新社

伊藤比呂美は、いつだってそばにいた。子どもたちを母乳だけで育てたのは、完全に「良いおっぱい、悪いおっぱい」の影響だ。がさつ、ずぼら、ぐうたらでいいんだという言葉が救いだった。彼女と同じように、私も高齢出産をしたから、体力が足りないと思いながら、ひいひい言いながら、なんとかやってきた。

そんな比呂美さんも、私も、すっかり中年のおばさんだ。親の介護、子どもの独立、家族の変節、そして閉経。よそ事のように、かっこよく美しく語れない出来事が満載だ。「閉経記」とあるけれど、閉経のことだけ書いてあるわけじゃない。だけど、この題名は、ちょっと潔くて凛々しくて、いい。

カノコちゃんはお母さんになったのね。うんこが出ない、おっぱいが出ないと電話口で泣くカノコちゃんに「良いおっぱい悪いおっぱい」を送ってやるといった比呂美さん。そうだよ、あの本は本当に具体的に現実的に役に立つよ。書いておいてよかったね。

中年女性の目の前には、いろんな問題が山ほど。私なんてまだまだ、てんで楽な方だと知っているのに、わかっているのに、時々打ちひしがれて、眠れなくなる日もある、つらい日もある。だからこそ、この本が心を奮い立たせてくれる。みんなボロボロになったって、汚いおばさんになっていったって、なんとかやってる、頑張ってる、と思う。

比呂美さんはいいわね、とあたしはよく言われる。
(同居親を介護する人から)比呂美さんはいいわね、同居してなくて。
(親が近所に住んでいて始終呼びつけられる人から)比呂美さんはいいわね、アメリカみたいな遠くにいて。
(母親との葛藤を抱えている人から)比呂美さんはいいわね、残ったのがお父さんで。
 ああ、そのたびにうんざりする。月に一回太平洋を行き来するこの生活は、あの人やこの人の経験から比べれば、うらやましがられるほど気楽だというのか。
 つまり人は、自分の経験にいっぱいいっぱいになるあまりに、他人もまた、経験でいっぱいいっぱいになってるということに気がついていない。
ときどき思うんである。あたしみたいなおかあさんがいて、あたしのやりたいこと、行きたい方向、受けとめてもらっていたら、ずいぶん楽だったろうなあと。
 しかしながら、うちの娘は娘で、こんな母親のもとで、あたしの持っていたのとは違う問題を万般にわたって抱えておる。そのいくつかは、多分あたしが元凶だ。どんな母でも、母であるかぎり毒になり、どんな母でも、母であるかぎり滋養になるということか。
(引用はいずれも「閉経記」伊藤比呂美 より)

自分なりに頑張っているつもりでも、人はまた違った受け取り方をするし、良い母であろうとしても、毒にもなってしまう。そんなことはわかっているつもりでも、やっぱり悲しかったり苦しかったりもする。でも、こうやってすっぱりと書かれてしまうと、そうか、そうなんだ、しょうがないじゃん、と受け止めるしかないような気になってくる。

いくつになっても、伊藤比呂美は、等身大の、私の身近にある問題を一緒に苦しんでいる、乗り越えようともがいている、そして笑ってもいる。生きるってそういうことだ、と力強く言葉にしてくれる。

伊藤比呂美がいてよかった、と思える本だった。

2014/7/10