黒い豚の毛、白い豚の毛

2021年7月24日

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「黒い豚の毛、白い豚の毛」閻連科 河出書房新社

ノーベル賞有力候補、閻連科の自選短編集。
中国に関わる本を読む時に、いつも不思議な感覚がある。理不尽というのか、想像を絶するというのか。今の私の常識でははかりきれない感覚。「疾走中国」を読んだ時に、ははーん、その正体はこれかな、とちょっと思ったのだが。大事にするものが違う。価値観が違う、と言ってしまえば簡単なのだが、それだけではないような。この小説にも、そんな不思議な感覚があって、それをうまく説明できない自分に歯噛みする思いだ。

極貧の家庭の息子が、ある日、父親に、牢屋に入りたい、という。鎮長(中国の末端行政単位の長)が誤って若者を轢き殺してしまったので、その身代わりとなって公安に出頭し、罪を負う。そうすれば、鎮長に恩を売ることができて、その後の出世は間違いなしだという。それを聞きつけた親戚が、牢屋から出てきたらうちの娘の婿になれと言い出したり、母親は出発のための晴れ着を準備したり。近所の連中も、まるで慶事の様におめでとうを言いに来る。ところが、村には身代わりになりたい人間が何人もでてきて取り合いになり・・・。

かつて毛沢東が、「我が国には人民が多すぎる。だから、死ねば死ぬほどいいではないか。」と言い放ったというエピソードを思い出す。人の命や尊厳というものの意味合いや重さが、あの国では、どうにも違ったものとして捉えられ、感じられている、そのジレンマが物語の中から浮き上がるようだ。それでも、ひとりひとりの人間は、日々を生き、誰かを愛し、大事に思い、真面目に、ちゃんと生きている。それがおかしく切ない物語となって、胸を打つのだ。

2019/11/23