246

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2021年7月24日

「246」沢木耕太郎

夫が、題名が数字だけの本を面白そうに読んでいて、「誰?」と聞くと、沢木耕太郎だという。彼の本は、ほぼ全部読んでるつもりだったので「もしかして、かぶってない?」と尋ねると、「なんだか読んだような気もするんだよなあ」と読書記録を途中で調べたりしている。結局、最後まで、夢中になって読んでたみたい。「面白かった!」と力強く言われりゃ、やっぱ読んでみたくなるわけで。

本が発行されたのは最近だけど、内容は、1986年から1987年までの日記。日記だから、その当時の出来事や、読んだ本、出会った人、考えたことなど書いてある。それが元になって後の著作ができていて、出来上がったものを読んでいる読者には、既視感というか、読んだことがあるかも感があるってわけだ。

1986年から1987年というと、沢木氏が「深夜特急」を執筆中だった頃のことだ。日本を発って、ユーラシア大陸をロンドンまで、定期バスだけを利用して旅するという、後に猿岩石のヒッチハイク旅行のネタ元ともなった本。内省的、禁欲的、謙虚で率直な地元の人々との交流。深く静かに面白いこの本を、何度読み返したことだろう。この本を初めて見つけたのは、上の息子が一歳頃。夫の仕事も忙しく、転居したばかりの家の近くには大きな書店も図書館もなく、親しい友人とも会えず、育児に息詰まる思いでいた。小さな市の出張所の二階にある文庫で見つけたこの本を、巻を進めて読みながら、こんなふうに世界を旅する人もいる、と砂場と家を往復するだけの日々に嘆息したことを覚えている。

それから沢木氏は世間の脚光を浴びて、立派なノンフクション作家として地位を確立した。書くものは相変わらず面白くはあったけど、なんとなく「わかってしまった」みたいな感覚もあった。これを読んだら、久々に「深夜特急」の頃のときめきを思い出した。やっぱりあの頃の彼の文章に、今と違うきらめきがあるのかもしれない。

謙虚さ、追う対象への誠実さ、自分の中にある幾つかの規範。そういうものの存在が、この日記から見えてくる。苦労して書き上げた作品でも、取材対象から発表を控えて欲しいと頼まれると、あっさりと取り下げる。講演を頼まれると、できる限り断り、受諾する場合は、最低限の報酬しか受け取らない。(高い報酬を受けると、自分の作家としての仕事に差し支えるという判断がされる。)仕事を断るときは、必ず相手と対面し、書面や電話では済まさない。ストイックな姿勢が、ごく自然に当たり前のように彼の中にある。それは、確かに作品に現れている。

興味深いのは、そんな誠実さの塊のような彼が、自分の事をある種の「負」の存在として捕らえていることだ。三浦和義や、三菱銀行事件の梅川昭美と自分を同じものとして感じている。

恐らく、彼には人生の目的というものがなかった。なかったはずだ。もし、女とか、金とかが目的だったなら、もっと違った人生を送ることができた。彼にはあらゆることが面白く、しかしあらゆることがつまらないものだった。だから、彼は関心を持つことはできるが、その関心を持続させることができなかった。ほんの短い間は集中できるが持続しない。(中略)彼にはあらゆることが可能なのだ。可能だが、意味がない。だから、結局は淫することがない、淫することができないのだ。私と同じだ。違うのは、私は生きやすく生きるための方法を、いつか、どこかで学んでしまったというだけなのだ。(「246」沢木耕太郎より引用)

沢木耕太郎と、これら有名な犯罪者との間に同一性を見つけよという方が難しいようにわたしには思える。だが、彼自身にとっては、大きな共感なり同じ感覚があるということだ。それが、不思議でもあり、面白くもある。そしてまた、それこそが、彼がノンフィクションを書く大きな動機になっているように思う。

二歳頃の小さな娘との交流もそこここに書かれていて、小さな人への静かな愛情が感じられる。温かい花があちこちに咲いているような。また、沢木耕太郎をしっかり読んでみよう、と思うような本だった。

2008/2/6